月別アーカイブ: 2010年2月

話を聞くのはしんどくない。

「しんどくないですか?」って
よく聞かれます。
PTSDのつらい日常ばかり聞いているとウツにならないかと心配してくれているのですね。

「感動しますよ」
と応えることが多いです。
崖っぷちの絶体絶命の状況で、これにどんな救いがあるというのかと思えるところからでも、みんな必ず光を見つけ出します。

夜道でお化けを見たら怖くて、その場をすぐに去りますね。
でもがんばって本当にお化けだったか確かめると、不安が生んだ錯覚だったとわかったりしますね。
【幽霊の正体見たり 枯れ尾花】
ですね。
怖かったのは事実だけど、もう大丈夫という確認作業です。

それを2人で確認するから怖さが軽減されるんです。
でもゆっくりゆっくりね。
信頼関係が基本です。
間違っても「5日後までに」とか言わないですよ。

むしろ…
5日後に母子寮へ行くようにとアドバイスするケースワーカーさんに対して、そんな風に言わないで欲しいと交渉するのはものすごくつかれます。失礼だと思うので遠慮しながら伝えます。
不思議なことですが、理解されないのです。
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負けるな朝青龍

恒例の成田山新勝寺の豆まきに
朝青龍がいなかった。
なぜだ?
柄にもなく気にしたか。
気にするなと言いたい。
何もかもが横綱らしいのに。
バッシングされるのは神格の証。
亀田家ではこのくらいでバッシングされない。
節分の豆のようにいじめていじめてそれでも生き残るサバイバーが次世代を担うのが日本の伝統。難題をこなした割にはその賞味期限が短いのが厳しいところだけど、そこは神様だから。
新勝ではないけど、過去の栄光に浸るのはだめで、この国は新鮮さが命。
大相撲のステージの上には4色の垂れ幕
西に白(金気)・東に緑(木気)・北に黒(水気)・南に赤(火気)
あれあれ4色しかないと思わないでください。
土俵は黄色の土気で、五行です。
レフリーは行司
八卦はよいから残った残ったと合図します。
リングは宇宙を表しています。
二人の人(陰陽)がぶつかって勝負します。
昔は相撲占いとも言ったそうで、そもそも呪術的です。
なんと結果で豊作かどうか占ったという。
塩を撒いて清めたり
神事なんですね。
だから横綱に対する要求は神様としてふさわしいかどうかというレベルになってしまう。
解離は普通耐え難いことが起こったとき仕方なく無意識的にしてしまい定着した悪友みたいなもんだけど、朝青龍はそれをバネに生産的に使ってた。本人は必死だったかもしれないけど。
ガッツポーズなんかは【気合】という日本人が忘れかけた陰陽五行の魔法を表しているみたいだし、そもそも解離なんてもののポジティブな具現化こそ神格の証じゃないのかと思う。
負けるな朝青龍!

別れさせ屋は哲学禁止

 ある女性は公立のDVシェルターに入所した日に
「○日(5日後)に退所してもらいまいます」と言われた。

お客さんが家に来た途端に
「あと30分で帰ってね」なんていうと普通友達を失いますよね。
ましてや傷つき疲れきった人にもう少し言い方があるのではないかと思いませんか。

『?』と思うまもなく、さらに聞いたのは、
「離婚して、▽県の母子寮に行けます。ちょうど空きが出てよかったですね」
「え”っ?りっ・こ・んですか。えーっ…」
「離婚しないと母子寮には入れないですから」
何たる杓子定規な物言い…

保護されている引け目を感じる人たちは驚きながらも、本心が言えない。
DVは天災みたいなものだから、被災者は避難所に保護される権利があるのだが、遠慮される。
何とかがんばって、まだそこまでは考えていないと言うと、

「じゃあどうするの?」
「もう少しお時間をいただけませんか」
「考えても同じでしょ。離婚しかないの。直らないの」

実はどんな人が入所して来ようが、離婚と母子寮行きは入所前から決まっているのだ。
保護された人は誰だって、守られると思うだろう。相談できると思うだろう。
現実とのギャップは相当なショックだろうと思う。

一時的に福祉的弱者になっただけなのに、思考能力や自己決定権まで奪われてしまうなんて、こんなひどいことがあるだろうか。確かにDV夫は手ごわいが、それはまた別な話である。

公的DVシェルターの現状は、キャッチセールスの別れさせ屋だと私は思う。
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哲学的忍耐力

 C.G,ユングの言葉です。
「心理療法の最高の目的は患者をありえない幸福状態に移そうとすることではなく、彼に苦しみに耐えられる強さと哲学的忍耐を可能にさせることである」

PTSDはつらい。どうしてこんな理不尽な目にあわなければならないのかと思う。
これからどうしたらよいのか途方に暮れる…。

哲学は哲学者の専売特許ではないと思う。
今自分が置かれている不幸の意味について、立ち止まって考えなければ一歩も進めないような時は、誰にだってあるんじゃないのかなと思う。

PTSDに巻き込まれた人は誰でも哲学者になる。
特に子どもは。
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しかも恵方巻きは駄洒落込み!

関西発祥の行事に恵方巻きがあります。
その年の恵方(今年は“西南西”)を向いて、無言でまるかじり!
恵方は陰陽五行の法則でいうよい方向ですね。
毎年違うんですね。
壮大な時空のなかの人間を想定した発想です。
インド人も凄いですが、中国人もすごいですね。
学校の歴史の授業で大陸から多大な影響を受けたことは学びましたが、
「仏教なんて…古くさ」「易?占いでしょ!」とか不遜なことしか思わずにきました。
居眠りなんかして(今は注意する立場ですが…)。
最近知ったのは、当時の日本人は相当ショックを受けたようですよ。
でもメゲナイんですね。
一生懸命追いつけ!追い越せ!です。
日本人って本当は相当底力あるはずですよ。
それとユーモア精神!
恵方巻きは…
①「福を巻き込む」縁起物
②切らずに食べるのは、「縁を切らない」ということを意味
③無言なのは、願いごとを念じながら食べるからですね。
①②は駄洒落じゃないですか。
日本文化は駄洒落だらけです。
親父ギャグ!とか言いながらみんな楽しみますよね。
クライエントさんの絵画や箱庭にも
皆さんの夢にも駄洒落が含まれています。
それがわかると意味がつかめたりします。

豆まきは楽しい心理療法

また節分ネタです。
 
豆まきは…
①季節の変わり目に現れる鬼(邪気)を追い払ってから
②自分の年の数より1つたくさん食べ、
③無病息災を願うんですね。
易陰陽五行説が背景にある呪術だそうです。
呪術なんていうとおどろおどろしいようですが、
おまじないって言ったらいいかな。
とても心理学的だと思います。
①何事においても変わり目は気をつけたほうがいいですよね。
②人間成長が大切。自分は変化の途中なんだと意識するのも元気を取り戻す秘訣ですよね。
③祈ることでマイナス思考が払拭されますね。
豆は固いので、金気を意味するそうです。
(陰陽と木火土金水の5つの気のめぐりの組み合わせであらゆることを説明します)
春は木気。
斧が木を切り倒すように、春の生き生きとしたフレッシュな気分を台無しにするのが、
一年かけて固く固く凝り固まったかたくななこころです。
形のないものが結実するのは大事なことですが、そのままでは成長停止してしまいます。
春の息吹を充分堪能するには、凝り固まった気分は徹底的にいじめなくてはならないんですね。
それでお豆さんがその代表に選ばれたらしいです。
火あぶり→打ち付け→食われる    
サンザンです…
まだまだ寒いと思ってはいるけど、
植物はもう春の準備を始めているし、人間の身体も案外敏感に順応していますよね。
鈍感なのがこころで…。
節分はこのギャップを埋めてくれる精神療法でもありますかね。
心理療法とか精神療法とか哲学とか難しそうに言わず、
遊びみたいな行事にしちゃうところがいいですね。
日本文化の自己治癒装置と私は呼んでいます。
PTSDも大変な経験から発生したものですから、
とりあえず応急処置として症状を形成しますが(無意識って凄いですね)、
症状が本人を苦しめてもいますよね。   ← 必要であり不必要であり…(陰陽)
固く固く結実した壁の向こうにあるものを
一緒に観察していきます。
でも心理学の場合は、豆が金気を象徴するような形のイメージを使いますから、
ほかの対処法よりは恐怖感などが少ないのが特徴です。
それでも「危険だ」「忘れろ」という専門家は多いですがね。

話を聞くのはしんどくない。

「しんどくないですか?」って
よく聞かれます。
PTSDのつらい日常ばかり聞いているとウツにならないかと心配してくれているのですね。
「感動しますよ」
と応えることが多いです。
崖っぷちの絶体絶命の状況で、これにどんな救いがあるというのかと思えるところからでも、みんな必ず光を見つけ出します。
夜道でお化けを見たら怖くて、その場をすぐに去りますね。
でもがんばって本当にお化けだったか確かめると、不安が生んだ錯覚だったとわかったりしますね。
【幽霊の正体見たり 枯れ尾花】
ですね。
怖かったのは事実だけど、もう大丈夫という確認作業です。
それを2人で確認するから怖さが軽減されるんです。
でもゆっくりゆっくりね。
信頼関係が基本です。
間違っても「5日後までに」とか言わないですよ。
むしろ…
5日後に母子寮へ行くようにとアドバイスするケースワーカーさんに対して、そんな風に言わないで欲しいと交渉するのはものすごくつかれます。失礼だと思うので遠慮しながら伝えます。
不思議なことですが、理解されないのです。

別れさせ屋は哲学禁止

 ある女性は公立のDVシェルターに入所した日に
「○日(5日後)に退所してもらいまいます」と言われた。
お客さんが家に来た途端に
「あと30分で帰ってね」なんていうと普通友達を失いますよね。
ましてや傷つき疲れきった人にもう少し言い方があるのではないかと思いませんか。
『?』と思うまもなく、さらに聞いたのは、
「離婚して、▽県の母子寮に行けます。ちょうど空きが出てよかったですね」
「え”っ?りっ・こ・んですか。えーっ…」
「離婚しないと母子寮には入れないですから」
何たる杓子定規な物言い…
保護されている引け目を感じる人たちは驚きながらも、本心が言えない。
DVは天災みたいなものだから、被災者は避難所に保護される権利があるのだが、遠慮される。
何とかがんばって、まだそこまでは考えていないと言うと、
「じゃあどうするの?」
「もう少しお時間をいただけませんか」
「考えても同じでしょ。離婚しかないの。直らないの」
実はどんな人が入所して来ようが、離婚と母子寮行きは入所前から決まっているのだ。
保護された人は誰だって、守られると思うだろう。相談できると思うだろう。
現実とのギャップは相当なショックだろうと思う。
一時的に福祉的弱者になっただけなのに、思考能力や自己決定権まで奪われてしまうなんて、こんなひどいことがあるだろうか。確かにDV夫は手ごわいが、それはまた別な話である。
公的DVシェルターの現状は、キャッチセールスの別れさせ屋だと私は思う。

哲学的忍耐力

C.G,ユングの言葉です。

「心理療法の最高の目的は患者をありえない幸福状態に移そうとすることではなく、彼に苦しみに耐えられる強さと哲学的忍耐を可能にさせることである」

PTSDはつらい。どうしてこんな理不尽な目にあわなければならないのかと思う。
これからどうしたらよいのか途方に暮れる…。

哲学は哲学者の専売特許ではないと思う。
今自分が置かれている不幸の意味について、立ち止まって考えなければ一歩も進めないような時は、誰にだってあるんじゃないのかなと思う。

PTSDに巻き込まれた人は誰でも哲学者になる。
特に子どもは。