こうして
視覚化されると
圧倒されますね。
年間3万人が
亡くなっているのですから
当然のことですが
このように
形にして
突きつけられないと
見ようとしないのが
私たちの
悲しさです。
こういう場所での
お約束は
スタッフは
司会や進行はしますが
カウンセリングや
心理療法をしない
ということ
だそうです。
予防や対策すら
ありません。
ただただ
悲しみを分かち合い
故人を悼む場を
提供するのみです。
しかし
本当にこの作業ができれば
それでよいのです。
そして
それがいかに
困難だったか
自死遺族はみな
共有しています。
「自死だった」
死因すら
言えなかったのです。
何と思われるか
どう反応されるか
怖かったから…
心理学の教科書では…
アルコール依存の
治療としての
【断酒会】くらいしか
こういうスタイルのものは
なかったです。
治療者や専門家の前では
萎縮してしまう
権威への弱さに
注目し
唯一
この方法が
とられていて
ある意味で
特殊でした。
そして
DV問題が持ち上がったとき
あまりに傷ついている人々に
対して
これ以上傷つけては
ならないという
配慮が生まれ
まずは
専門家が
二次被害防止のため
心理療法の
根本中の根本
【傾聴】
【ラポール】
に徹するように
重々研修されてから
DVシェルターに赴いたものです。
グループセラピーでも
①人の話は最後まで聞く。
②決して非難しない。
というのが
お約束でした。
今の心理療法は
こういう精神をごっそり
失っていて
教科書のどこにもない
上から目線からの指導が
流行しています。
どこに学問性が
あるのでしょうか?
しかし
現場からの大変化の兆しを
感じます。
ゆっくりですが
よい風が吹いてきました。
自死遺族の集い「風舎」には心理療法はいらない
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