よいおじいさんと
悪いおじいさんが
描かれると
なんか善悪が強調されて
お説教みたいですが
本当に強調されているのは
子犬への愛
ではないでしょうか?
よいおじいさんは
子犬を可愛がっています。
死んでしまっても
灰になっても
大事にしています。
大事なものを
いくら傷つけられても
その存在を忘れず
大事に思い続けることが
大事だと言っているような気がします。
PTSDも同じです。
犬も歩けば棒にあたると
言いますが
人間も
理不尽な傷つけられ方を
することがあったりしますね。
しかし瀕死の状態にあっても
自分の傷ついたこころ
(子犬)を
ずっと大事にし
その声を聞きつづけていると
―おじいさんの
ワンワンとほえる声を
うるさく思うどころか
「ここ掘れ」も聞くような
共感性や
夢を大事にする態度は
参考になります。
宝物も【象徴】ですから
人間のこころを輝かせるもの
豊かにするもの
くらいの意味に読んだらよいと
思います―
枯れ木に花が咲くような
奇跡
(心理学では昇華)
が起こるのではないでしょうか。
そんな芸術のような
人生を
ユングは
個性化の過程
(自己実現)と
呼んだのだと思います。
子犬が自分の大切な
子どもや友達だった場合は
ラポールと言います。
おじいさんと子犬
の間にあったような
心の通じ合いがないと
心理療法は無効だというのは
心理学の常識です。
顔も見ずに診断する医者や
箱庭を置かせたり
絵を描かせても
わかる範囲で解釈する心理療法家には
ラポールのかけらもありません。
花咲かじいさん④ ラポールがないとすべては水の泡
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