ユングの患者さんに
首を振る症状の方が
おられたそうです。
普通に考えると
無意味な行動です。
現在なら
多剤処方されてしまうでしょう。
しかし
ユングという人には
もう少し
こころが
ありました。
「なぜ首を振るの?」
相手に対して
こころが開かれています。
患者さんは言います。
「太陽から
筒がさがっていて
筒から風が吹いている。
筒がこちらを向くと
西風が吹き
筒があちらを向くと
東風が吹く。
だからそれにあわせて
首を振っているのだ」
この段階で
多剤投与する医師も
多いでしょう。
しかしユングは
この言葉の意味を考え
想像し
文献にあたって
調べることで
理解しようとしました。
医学書に
答えはありません。
どこにあったか。
なんと
ミトラ祈祷書という
ペルシャ語でかかれた文献に
これと同じ文章があるのを
発見しました。
当然この患者さんは
ミトラ祈祷書など
知りません。
単なる偶然で
ミトラ祈祷書と同じイメージを
持ったと考えるのも
無理があります。
人間には集合的無意識
(普遍的無意識)
というものがあるのを
ユングは
患者さんから
学んだのです。
現在なら
首振り=異常行為=重篤な病
=統合失調症 ←投薬
でしょうね。
たまに
ユング派の残党いますが
かぐや姫がわがままと
いうんですから
ユングの解釈の深さとは
比べようがない
マンガみたいな世界です。
月別アーカイブ: 2010年4月
PTSD防止チャートとしてのキューブラー・ロス
否認
↓
怒り
↓
取引き
↓
うつ状態
↓
受容
『死ぬ瞬間』
という本の中
にある
受け入れがたいことを
聞かされたときの反応パターン
に関する報告です。
癌が不治の病で
女性なんかは
デリケートで
とても受け止められないから
告知しないようにしましょうか
なんて議論が
されていた頃の話です。
告知は死を意味するので
あっさり受容する人は
めずらしく
みんな
逡巡するのですが
多くの人が
冒頭のような段階を
たどったそうです。
病気や死の恐怖が
ストレスになるという
配慮があり、
告知された人も
自分のこころで
なんとか受け止めようと
していた時代性を
感じます。
今は
【解離】があるし
【解離】したまま
苦しむ人と
うつ状態が
うつ病と診断されて
薬を飲んでいる人が
多いですね。
告知者が
上から目線で
一律に対応するから
トラウマ化させず
(トラウマを溶かし)
受容することが
困難になりました。
うつ状態に
陥りながらも
病の意味をしっかり知り
得心できたら
痛みは消えるという
ロスの素晴らしい
自己実現モデルは
現在瀕死の状態です。
そして
そんなことを言うと
専門家からの
【怒り】に遭遇します
ベストセラーで
流行しましたし
よくできた研究ですが
人の心は変化しますし
病にも流行があり
時代の問題があって
今では
現状とこんなに大きくズレて
しまいました。
不立文字
とまでは言いませんが
心理学の学説は
こういう性格のものと
いつも思いながら
参考にする姿勢が
自分を護るために
大事だと思います。
ただ専門家が
変化したら
ロスの時代の
気運
(人間性)を
取り戻すことは
可能だと思いますよ
怒りを抑圧した腰痛に抗ウツ剤は自殺行為
微笑みながら
話してくれたら
こちらも
こころを開きやすいのですが
怒りを
あらわにされると
ちょっと引きますね。
それが
普通だと
思います。
ある種の
防衛機制で
生きていくには
必要な
感覚です。
また
怒りは
抑圧されやすいですね。
人を不快にすることを
嫌う日本人は
特に
抑圧がきついです。
無意識のうちに
抑圧してるので
ややこしい話でも
あります。
腰痛の何割かは
怒りではないか
という説もありますよ。
なかなか治らない
腰痛をお持ちの方は
怒りの除去が
痛みの除去に
なるかもしれませんよ。
心因反応ですから
広い意味で
PTSDですね。
腰痛が治らなくて
うつ状態になるのも
心因反応です。
そういう方は
抗うつ剤なんか
飲んでる場合では
ないですよ。
死んでしまいますよ!
自死遺族の集い「風舎」には心理療法はいらない
こうして
視覚化されると
圧倒されますね。
年間3万人が
亡くなっているのですから
当然のことですが
このように
形にして
突きつけられないと
見ようとしないのが
私たちの
悲しさです。
こういう場所での
お約束は
スタッフは
司会や進行はしますが
カウンセリングや
心理療法をしない
ということ
だそうです。
予防や対策すら
ありません。
ただただ
悲しみを分かち合い
故人を悼む場を
提供するのみです。
しかし
本当にこの作業ができれば
それでよいのです。
そして
それがいかに
困難だったか
自死遺族はみな
共有しています。
「自死だった」
死因すら
言えなかったのです。
何と思われるか
どう反応されるか
怖かったから…
心理学の教科書では…
アルコール依存の
治療としての
【断酒会】くらいしか
こういうスタイルのものは
なかったです。
治療者や専門家の前では
萎縮してしまう
権威への弱さに
注目し
唯一
この方法が
とられていて
ある意味で
特殊でした。
そして
DV問題が持ち上がったとき
あまりに傷ついている人々に
対して
これ以上傷つけては
ならないという
配慮が生まれ
まずは
専門家が
二次被害防止のため
心理療法の
根本中の根本
【傾聴】
【ラポール】
に徹するように
重々研修されてから
DVシェルターに赴いたものです。
グループセラピーでも
①人の話は最後まで聞く。
②決して非難しない。
というのが
お約束でした。
今の心理療法は
こういう精神をごっそり
失っていて
教科書のどこにもない
上から目線からの指導が
流行しています。
どこに学問性が
あるのでしょうか?
しかし
現場からの大変化の兆しを
感じます。
ゆっくりですが
よい風が吹いてきました。
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朝日新聞『獅子頭』第三十六話 理解を阻む感情論の正体
二順は
料理の背景にある
壮大な
歴史と文化を
雲紗の父親から
教わり始めました。
ところが…
雲紗の母親は
東北料理の解説が始まると
すぐに
感情を害し始めます。
「(東北人は)単純だの無骨だのって
あんたのようなずる賢くって偉そうな
南蛮人にはなりたくないね」
父親は
東北がいいとか悪いとか
言ってるんじゃなくて
歴史的な話をしているのだから
怒らないで聞いてよと
なだめますが
いつもは
やさしく穏やかな
雲紗の母親が
もはや半ばコントロールを
失っているかのようです。
料理の話が
そっくりそのまま
個人の性格の話に
すりかわっているみたいで
大きな混乱が
起きています。
無意識にある
コンプレックスが
刺激されて
感情のコントロールが
できなくなってしまいかけて
いるのですね。
食べ物は
このように
刺激を受けやすい
鬼門のような
意味を持っているのですよ。
鬼門とは
よくも悪くも
変化宮のことです。
見方につけるか
敵に回すか
雲泥の差になりますが
リセットにまつわる
こころの秘密が
ここにあります。
拒食というPTSDも
修行における断食も
ここに関する問題です。
雲紗の母親は
変化したい
(理解を深めたい)から
怒っているのでしょうね。
愛すべき人です
全く馬鹿な話で
ナンセンスと感じたら
無視しますよ。
つまり
【怒り】という防衛機制を
使いながら
この場に
なんとか適応しようと
しているのです。
怒りが静まれば
よい&悪い
(陰陽)を
超えて
料理を深く知る
太極への
パスポートを得ることに
なります。
そしてここは
対話による得心で
超える必要があります。
怒りを薬で静めるとか
説得で抑圧させるとかでは
ありません。
とか偉そうに言ってますが…
私も学会で雲紗の母親を
大勢怒らせてきたかも
朝日新聞『獅子頭』第三十五話 歴史や文化を無視した心理療法は殺人である
二順は
教科書に弱く
実技に強いタイプの
料理人のようです。
火の調整や
中華鍋の扱いなんかが
うまくできたら
それで充分だと
思っているようですが
雲紗の父は
料理は
その土地の
歴史や地理に
大いに関係しているから
それを
知ろうともしなかったら
店をやってこられなかったと
注意します。
心理療法も
同じです。
現実に
目の前にいる人を
相手にするのですが
その人の
歴史を無視して
しんどそうだったら
うつ病とか
勉強できなかったら
発達障害とか
そういう見方だけで
励ましたり
医者を紹介したり
するだけだから
そのうつ病を
いつまでたっても治せないし
発達障害を増やしすぎて
薬づけにしたり
絶望させたりしているうちに
死なせてしまうように
なるのです。
なぜしんどくなったのか
なぜ勉強できないのか
その人のこれまでの
歴史と現状を照合しながら
一緒に考えるのが
本当の心理療法です。
また西洋にはキリスト教文化
日本には仏教や陰陽五行説が
あるのですから
癒される物語も
違うわけです。
人魚姫では
絶望が深まってしまうから
『崖の上のポニョ』を
どうしてもみんなに見て欲しくて
宮崎監督は
苦労に苦労を重ねて
泣きながら制作されたのですよ。
続きを読む
沖縄米軍人息子のタクシー強盗容疑と基地周辺のPTSD懸念
軍人さんの
仕事は
集約すれば
殺人や
殺人補助です。
戦争がなくて
訓練だと言っても
やはり
精神衛生を保つのが
難しい仕事
であることには
変わりがないでしょう。
無意識的な
疑問や不安を
強く感じて
防衛のためと
合理化したり
考えても仕方がないと
否認したりすると
PTSDになります。
解離を起こすと
自傷&他害を
犯すリスクが
高まります。
軍人さん自身による
事件も増加していますが
家族の精神衛生も
だんだん
問題になってきているのでは
ないでしょうか?
もちろん
被害者や
基地周辺に住む人々
働く人々の
精神衛生も
問題です。
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ミネルヴァ書房『日本の妖怪大図鑑』はPTSD予防ワクチン
昨日の朝日新聞
書評コーナーの
ミネルヴァの広告は
こころの研究の現状の
隠れた秘密を
暴露しているように
感じました。
左側には
流行の
【発達障害】があり
いつまでこんな失礼な
誤診ばかり続けるのかと
暗澹とした気分に
なりますが…
右側には
日本人の想像力がうみだした妖怪の世界の
コーナーがあり
「妖怪をしれば、日本の文化がみえてくる!」
なんてうれしいことが
書かれていて
ざしきわらし、ろくろくび、びんぼうがみなど
家の周辺にいる怖い妖怪や面白い妖怪が
紹介されています。
大きく楽しいイラストで
妖怪の出没地や危険度なども掲載し
子どもたちの好奇心を駆り立てるでしょう。
安全であるはずの
家庭の中にある
虐待やDVなどの
おどろおどろしくも
誰にも言えず
言ってもなかなか
信じてもらえない
妖怪の世界の存在と
対処法を
子どもの頃から
自然に学ぶことは
大切なことです。
PTSDに罹患して
心理療法と称する
箱庭表現や絵画表現をしても
かぐや姫をわがままと
診断し
適応障害扱いするような
分析心理学が死んだ
時代ですから
こころの健康のためには
昔の日本人のように
自分で何らかの表現をしながら
自己癒しする
そういう手引書が
これからは
売れるような
気がします。
*西洋から箱庭療法が
輸入される前から
日本には
箱庭文化があり
精神衛生に
貢献していたようです。
そこには
専門家はいませんでした。
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PTSDの見立てなしの「こころの健康政策構想会議」は地獄の思想
3日
日本の精神医療の
改善に向けて
政策会議が
発足したそうです。
重要課題は
①自殺などの早期発見を可能にする
地域セーフティーネットの構想
②チーム医療による30分診療の実現
③介護者の地域支援
キェルケゴールの
『死に至る病』
としての
絶望という名の
トラウマが
PTSDの正体であり
その結果の
自殺ですから
その見立てのない
現状で
何人専門家が
集まって
チームを組んでも
見る時間を長くしても
それは
ますます誤診や間違った見方を
強化することになるわけで
逆効果でしょう。
地域支援にしても
現状の専門家が
指導するなら
『死に至る病』である
PTSDを増やすばかりで
これは
もはや
地獄の思想です。
自力で病克服しようと
がんばる人たちを救う
投げ縄を持っているのは
東大寺の観音さまくらい
しかありません
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自死遺族の集い「風舎」には心理療法はいらない
こうして
視覚化されると
圧倒されますね。
年間3万人が
亡くなっているのですから
当然のことですが
このように
形にして
突きつけられないと
見ようとしないのが
私たちの
悲しさです。
こういう場所での
お約束は
スタッフは
司会や進行はしますが
カウンセリングや
心理療法をしない
ということ
だそうです。
予防や対策すら
ありません。
ただただ
悲しみを分かち合い
故人を悼む場を
提供するのみです。
しかし
本当にこの作業ができれば
それでよいのです。
そして
それがいかに
困難だったか
自死遺族はみな
共有しています。
「自死だった」
死因すら
言えなかったのです。
何と思われるか
どう反応されるか
怖かったから…
心理学の教科書では…
アルコール依存の
治療としての
【断酒会】くらいしか
こういうスタイルのものは
なかったです。
治療者や専門家の前では
萎縮してしまう
権威への弱さに
注目し
唯一
この方法が
とられていて
ある意味で
特殊でした。
そして
DV問題が持ち上がったとき
あまりに傷ついている人々に
対して
これ以上傷つけては
ならないという
配慮が生まれ
まずは
専門家が
二次被害防止のため
心理療法の
根本中の根本
【傾聴】
【ラポール】
に徹するように
重々研修されてから
DVシェルターに赴いたものです。
グループセラピーでも
①人の話は最後まで聞く。
②決して非難しない。
というのが
お約束でした。
今の心理療法は
こういう精神をごっそり
失っていて
教科書のどこにもない
上から目線からの指導が
流行しています。
どこに学問性が
あるのでしょうか?
しかし
現場からの大変化の兆しを
感じます。
ゆっくりですが
よい風が吹いてきました。