催眠状態は
一見
困った症状のようですが…
その時に
さまざまな症状について、
それがいつから
どんな風にして発生したのかを
根気よく話し合うようにするなかで
すべての症状について
その原因となる心理的外傷
(ひどくショックな出来事)があり
しかもそれは全て
彼女が父の看病をした時期の出来事
であるとわかった。
ふだんは
彼女はこの出来事についてまったく忘れているのだが
催眠状態にあるときは
このことに
ついて語ることができた。
話している最中に症状は
もっともひどくあらわれ
そして催眠からさめたときにはすっかり
症状は消えてしまうのであった。
例えば
彼女はわけもなく
突然水を飲むことができなくなり
どんなに喉が乾いても
水が飲めないという状態が
6週間も続いたことがあった。
この原因については
次のように語っている。
ある夏の暑い日
嫌いだったイギリス婦人のお手伝いさんが
飼っていた子犬に
コップから水を飲ませているのを目撃し
「なんて汚い」との
嫌悪感や怒りなどのコンプレックスを
感じ
怒鳴りつけそうになったのだが
はしたないからと我慢したことを
思い出し
そのとき抑圧した
感情を吐き出すと
急に水が飲みたくなり
おいしそうにコップの水を飲んで
催眠からさめた。
このような調子で
彼女のすべての症状は取り除かれ
彼女の病状は
徐々に軽快していった。
しかし
完全に健康になるには
なおしばらくの年月を要した。
月別アーカイブ: 2010年5月
アンナの症例④再発
しかし
父が亡くなった時
ものすごい興奮状態になり
深い昏迷状態が2日間続き
その後
再びいろいろな奇妙な症状があらわれる。
周囲の人がすべて蝋人形のように
見えて区別がつかなくなったり
母国語のドイツ語が理解できず
英語を話すようになったりした。
日中は、お化けや骸骨
死人の首などのきみの悪い幻覚に悩まされ
午後からはうとうとと眠り
日没の頃には
催眠状態になった。
幻覚
離人感覚
…も付加されました。
(しかし
これらは後にすべて消えたのです。
大丈夫です。)
アンナの症例③ラポールの形成
治療者は
これらの障害には
精神的な原因があると考えた。
なにかにひどく苦しめられているが
それについて何も言うまいと
決心しているのではないか
話してほしいと
率直に促すと
このときから彼女の症状は
徐々に改善し
そのうち病床を離れることができた。
ラポールの形成
と言います。
心理療法の基本中の基本です。
こころが自由に交流している
状態です。
箱庭療法のカルフさんなら
【自由にして保護された空間】と
言うでしょう。
そっちがわかりやすいかな?
自分の感じたことを話しても
大丈夫だという安心感がある
状態で
「黙ってしたがってください。
転院は自由ですよ!」
なんて叱られるおそれのない
関係です。
アンナの症例②治療開始後の瞑眩反応としてのヒステリー症状
治療開始後
症状はますます悪くなり
そのうち
視点が定まらなくなり
ついには
寝込んでしまった。
後頭部の痛み
奇妙な視覚障害
四肢の麻痺
感覚の消失など
さまざまな症状がおこってきた。
さらには
彼女の意識状態は
分裂し
一方の意識状態の時は
穏やかな性格なのに
それが突然
別の意識状態に変わると
周囲のことがわからず
幻覚を見て興奮し
汚い言葉をはいたり
ものを投げたりするようにさえなった。
しだいに
ひどい言語障害があらわれ
話す言葉はばらばらで意味不明
時には2週間まったく無言のこともあった。
ヒステリー症状のオンパレードです。
分裂は【解離】としたいところ
ですね。
誤診し放題の危険性
わかりますか?
発達障害
統合失調症
ジル・ドゥラ・トゥレット(チック)
緊張病
器質性精神障害
人格障害
うつ病
適応障害
…
最近の朝日新聞だと
統合失調症と診断されて
数日後発達障害ってのも
ありそうです。
いずれにせよ
投薬はまぬかれないでしょう。
アンナの症例①PTSDの発症
これは
神分析誕生のきっかけとなった
事例です。
21歳で発症した聡明で意志の強い女性
人への同情心に富み
他人のために働くことに
なによりの生きがいを感じながら
きびしい家庭に育った。
単調な生活のなか
白日夢に熱中することが多かった。
愛する父が病気
(胸膜周囲膿瘍)となったので
彼女がつきっきりで看病するようになり
看護しているうちに
彼女はだんだんと衰弱し
激しい神経性の咳が出るようになったのを
きっかけに受診し
治療を受けることになった。
性格が悪いわけでも
発達障害でもないですね。
咳を
神経性と見抜く力が
治療者にはありました。
仮面更年期障害とPTSD
55歳の小柄な女性
5年以上ほてり&発汗がひどく
生活に支障がでており
発達障害を疑われるほど
物事が覚えられない。
対人関係においては
常に阿修羅のように勝ち負けに
こだわり
相手を言い負かすことしか
考えていない攻撃的な性格が
顕著である。
しかし
家人からの情報では
「友達がいない」とこぼし
夜も眠れないようである。
症状悪化の前には
経済的に困窮しているにも関わらず
タワーマンションを始め
さまざまなものを即決購入
しては、数日後青ざめることを
繰り返している。
あと2年で死ぬと言う言葉を
繰り返し
健康を気遣う同年齢の女性たちの会話には
「好きなもん食べたらええんや!」
と大声で怒鳴り込む始末。
人格障害も疑われそうである。
しかし
話をよく聞いていると
子どもの時
離婚により困窮した母親に
心中を迫られたこと
その後生活は豊かになったが
母親が57歳で死亡したことを
なぜか自慢げに繰り返す。
抑圧していた
幼少期の死のトラウマが
母親の亡くなった年齢に近づき
火山のように活動し始めたのではないかな
…と見立てている。
遮断機がよく故障するJR阪和線
電車がよく止まることで有名な
JR阪和線ですが
最近は
路線変更せざるを得ないような
長時間の待機に
遭遇していません。
そのかわり
「踏み切りの遮断機の点検のため
発車が5分程度遅れます。
お急ぎのところ…」
というようなアナウンスが
増えたように思います。
運転手さんの学習効果でしょうか。
必要以上に
前方に注意し
早めにストップする。
線路に座っている人にも
慣れて
いちいち驚かず
スマートに退避を促し
何もなかったように運転再開する。
…あくまで想像ですが。
愚痴の1つも言わず
慣れるべきでないものに
慣れる過剰適応
…心配です。
文豪の象徴漱石が提示する世紀の公案小説『門』とPTSD
ロンドンに留学して
イギリスの文化、文明に圧倒され
心身症を病んでのち
日本人とは何か
誇るべきものがあるとすれば
それは何なのか
…
そんなこと
ばかりを考えつめていた
漱石の無意識は
漱石を苦しめている心身症(PTSD)が
いずれ日本で大流行すると感じ
漱石に
この小説を書かせたのだと思う。
主人公は
『崖の上のポニョ』ならぬ
『崖の下の宗助』なのだから
ちなみにポニョを助けるのは宗介
【如人千尺懸崖上樹】
(百尺竿頭のほうが通りがよいだろう)
という公案は
数ある公案のなかでも
最もPTSDを切実に提示した
公案と言ってよいだろう。
あなたは高い崖の上の木の枝にかじりついている。
「あなたはだあれ?」と聞かれて
答えなければならないが、
普通に答えたら墜落して死んでしまう。
トラウマを理解するむつかしさと
直面する恐怖心を見事に
示している。
しかし
この公案に答えることなしには
もはや生きていくことはできないのである。
『竹取物語』蓬莱の珠の枝の象徴的意味① 光明
明明の光明は
百草なり。
すでに根茎枝葉・華果光色
いまだ与奪あらず。
五道の光明あり、
六道の光明あり。
(正法眼蔵『光明』)
本来
あらゆるもの(百草)に
明らかな光明が宿っている
のだから
それはどこの世界でも
そうだし
(当然日常にあるのです)
尋ねた場所の
光明がお留守だった
なんてことも
あったためしが
ないのだから
私が
「根が銀で
茎が黄金で
実が白い木を」
と言ったからって
真に受けて
海を渡って
蓬莱山で見つけてきたなんて
うそつくような人は
ずるいだけでなく
理解度の低さを露呈しています。
日本中にいくつあるか
しれない
(その辺の)竹林で
私は
発見されたのです。
西洋のお話
『青い鳥』でも
子どもがこのことに気づきますよ。
庫持ちの皇子なのに
だめですね。
かぐや姫が
ぼやいてましたよ。
いくら庫もってても
…ネ!
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『風の絵師』での手を焼く師弟関係=達磨&慧可の伝承
『風の絵師』で1つ
直視できなかった映像があります。
主人公の斬首刑が確定したとき
師が自分の手を火にくべて
命乞いをするシーンです。
皇帝はこの二人の人間関係に
嫉妬を感じるほど
心打たれます。
ドラマだと分かっていても
俳優はやけどをしていないと
分かっていても
とても見られませんでしたが
このショックのおかげで
少しわかったことが
あります。
子どもや弟子に手を焼くとか
仕事などで手を尽くすと言いますが
これはその究極の象徴表現で
ただ困っているとか
迷惑だとか
ベストを尽くす
そういうことでは
説明しきれないものを
表現しているように
思いました。
弟子の才能を信じているから
その継承のためには
絵師としての自分の手など
二の次にする激しさですね。
そう言えば…
達磨が振り向いてくれないから
ひじを差し出した
慧可という禅師がいました。
玉音放送
「耐えがたきを
耐え
忍びがたきを
忍び…」は
ここからの引用です。
―忍ぶでいいと思うのですが
偲ぶだったら
まさしくPTSD予防措置ですね。
敗戦のショックは
直面しがたいものですが
それを否認したら
PTSDになりますから
偲びがたきを偲びましょうと
…
昔の人も私のように
怖がりだったのでしょうか
達磨の真髄はなるべく残しながら
かわいく親しみやすくしながら
目を入れさせることで
工夫をしました。
目を入れるというのは
自分の目でしっかりみて
自分の頭で考えるということですね。
赤はもちろん火です。
禅宗も陰陽五行も満載の
韓国ドラマです
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