月別アーカイブ: 2010年5月

C,G.ユングの真の弟子になるかゾンビの群れと化すか

『風の絵師』では

師と弟子が対決します。

分別で言えば
師は師
弟子は弟子です。

タブーだと感じ逡巡する弟子に
師は
「(師を)信じるなら勝て」
でないと
弟子として認めないと
言いました。

鑑みれば…

フロイトという偉大な父の家を出て
PTSD症状にもがきながら
独自の理論を構築した
ユングという人が
いました。

フロイトは
慌て、
恐怖感から脅すという醜態をさらしたものの
甲斐なくユングに逃げられ
世界大戦中の人間の無意識に潜む
攻撃性の恐ろしさに絶望し
孤独のなかで
亡くなったと思いますが…

我々も
禅僧のように
狂いそうになりながら
ユングや河合隼雄を超えなければ
なりません。

それが
できない今の我々は
生きる屍
ゾンビ叫びです。
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韓流の流行はPTSDの流行の証

$PTSD研究家翠雨の日記
左が主人公
右がその師です。

主人公は父を
師は弟子の父である友を
殺害され

こころにトラウマを抱えながら
絵の修行をしているのですが

トラウマに突き動かされた人の
人生は

凡庸にはならないのだなあと
つくづく思います。

ドラマチックとか言いますが
現実は小説よりも奇なり

たくさんの
PTSDドラマが
現実に繰り広げられている
日本だから
韓国ドラマが
こんなにも流行しているのでしょう。
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夢十夜『第三夜』子殺しとトラウマ

6歳になる自分の子を
背負っている。
目がつぶれているが
(見えない)
道をよく知っているし
勘が鋭くて
恐ろしくなる。
こんなものを
しょっていては
末恐ろしいから
置いてゆこうとしたら
重くないかと聞いてくる叫び
重くないと言うと
「今に重くなるよ」

恐ろしくも妙な会話のなか
100年前に犯した殺人を
思い出す。
同時に背中の子どもは
石地蔵のように重くなった。
この子どもは
かつて無意識のうちに
抑圧し
忘れ去られたトラウマでしょう。
常識や分別と違うレヴェルの
存在で
夢見手のことを恐ろしく知っているし
何とか存在に気づいてもらおうという
ある種の【うらみ】がある。
抑圧したままで
同じ間違いを犯そうとしている
(自分をまた捨てようとしている)
夢見手に
そろそろトラウマを直視せよと
警告しています。
子殺し・子捨てのモチーフには
このような意味も
あるように思います。

カミュ『異邦人』とPTSDの悲劇

『異邦人』
(仏: L’Etranger)は

アルベール・カミュの小説です。

1942年に
人間社会に存在する不条理について
書かれたものですが

カミュが46歳の若さで
ノーベル文学賞を受賞したのは
この作品によるところが大きいと
言われています。

主人公は
母の死に涙を流さず
特に感情を示さず
普段とかわりない生活を続けていたのですが

ある晩
友人のトラブルに巻き込まれ

人を射殺してしまいます。

裁判では
人間味のかけらもない冷酷な人間であると
証言され
裁判の最後で殺人の動機を問われ
太陽が眩しかったから」と答え

死刑宣告にも関心を示さず
上訴もしなかったため
死刑が確定します。

留置場に司祭が訪れ
悔い改めるように諭しても
彼は司祭を追い出し

死刑の瞬間に人々から罵声を
浴びせられることを
人生最後の希望にします。

母親の死による
ショックで
【解離】を起こしています。

【解離】を起こすと
判断力・現実検討能力が
低下しますから

失敗や
自暴自棄な行動が
知性とは無関係に増えます。

犯罪に巻き込まれる確率は
格段にアップするでしょう。

PTSDですから
なぜ?と聞かれても
わからないし

説得されても
行動修正ができません。

何者かに操られているかのようです。

『無知の涙』の
永山則夫と同じでしょう。

主人公は【太陽】のせいだ
と言いました。

なくてはならないものですが
近づきすぎると
焦がされてしまいます。

【象徴的】表現です。

善いとか悪いとか
好きとか嫌いとか
陰陽の二元論を絶した
そういうところに
動かされる人間の悲劇を
示しています。

PTSDでそれが
顕著になります。

     八卦     ←森羅万象
  ↑  ↑  ↑  ↑
   …
    陰 陽

    ↑  ↑

     太極     ←エクリチュール・ゼロ

バルトが影響され
“エクリチュールの零度”という
観念
を抱いたのは
うなづけます。

PTSDはここから
理解しなければ
始まらないと思います。
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バルトのみた日本の象徴と河合隼雄の中空構造論

PTSD研究家翠雨の日記

表徴の帝国
(ひょうちょうのていこく、L’Empire des signes )は

フランスの哲学者ロラン・バルトの日本論

1966年フランスの文化使節の一員として
日本を訪れた時の印象を
記号論の立場から
まとめたものです。

外国人からみれば
分かりやすいのでしょう。

日本の中心

大都会である東京の中心に

皇居という
空虚な
何もない森だけの空間が
広がっている事実です。

ヨーロッパだと
都市の中心にある
聖堂や広場は
その権威や意味を
記号として明確に知らしめています。

では皇居が無意味かというと
とんでもないことです。

【記号】ではなく
【表徴】としてその幽玄な意味を
かもし出しているのです。

森の中で日々
陰陽五行に則った
祭祀という名の公務が
永続的に行われているのは

外からは伺いしれないことです。

PTSD研究家翠雨の日記

中空構造というのは
面白い表現ですが

なんだか
間違った解釈を流行らせてしまったために

【無我】や【無私】の
象徴としての皇室のメンバーが

国民から言われなき
中傷を受け
苦しんでおられます。

それは自殺者の増加とも
密接に関連しています。
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大阪でもキトラ四神シンポに650人 ~集合的無意識とユング心理学の解離

明日香が再び
注目されていますが

昨日は
大阪でも
古墳をめぐって議論が
交わされ

明日香村に復元された
大極殿に四神を描いた
上村淳之さんは
「四神・十二支と
花鳥風月の世界」と題して
特別公演しました。

古墳はお墓
死と再生

日本人の無意識にインプットされた
リセットの法則はここに
あります。

キリスト教のなかに
それを求めようとするところに

心理療法の悲劇が
あります。

カモ・アヒルは
生まれた直後に見たものを
親と思い込み

修正が利きません。

高松塚古墳を見て
倒れた河合隼雄の栄光と限界を
しっかり直視しなければ

刷り込まれた間違いの
脱マインドコントロールは
おこらないでしょう。

崖っぷちの臨床心理学です。
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幻冬舎『なぜうつ病の人が増えたのか』医原病終焉の萌し

著者は
製薬会社のプロモーション活動には
思いのほか強い影響力があることに
気づき
驚きました。

最近
欧米では
このことが盛んに議論されていて


「病気作り」
という批判の言葉さえ
生まれてきているようです。

著者は言います。
うつ病になるのは
あなたのせいではない。
これはつくられた「病い」だった―。
薬と休養を勧めるだけのうつ病対策では不十分

PTSD研究家翠雨の日記

PTSDですから

ただでさえ
被暗示性が高い病ですからね。

磁石で心身症治せちゃって
大ブーム起こした
内科医のこと
知らない臨床心理士いませんよ。

それを
専門家がよってたかって
ぎゅうぎゅうと洗脳するのですから

患者さん負けますよ。

でもこのからくり
じわじわと
通用しなくなってきてます。

間違いという声が大きくなれば

また【被暗示性の高さ】が
絶大な効果を顕すことでしょうニコニコ
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『竹取物語』蓬莱の珠の枝の象徴的意味① 光明

明明の光明は
百草なり。
すでに根茎枝葉・華果光色
いまだ与奪あらず。
五道の光明あり、
六道の光明あり。
 
 (正法眼蔵『光明』)

本来
あらゆるもの(百草)に
明らかな光明が宿っている
のだから
それはどこの世界でも
そうだし
(当然日常にあるのです)
尋ねた場所の
光明がお留守だった
なんてことも
あったためしが
ないのだから
私が
「根が銀で
茎が黄金で
実が白い木を」
と言ったからって
真に受けて
海を渡って
蓬莱山で見つけてきたなんて
うそつくような人は
ずるいだけでなく
理解度の低さを露呈しています。
日本中にいくつあるか
しれない
(その辺の)竹林で
私は
発見
されたのです。
西洋のお話
『青い鳥』でも
子どもがこのことに気づきますよ。
庫持ちの皇子なのに
だめですね。
かぐや姫が
ぼやいてましたよ。
いくら庫もってても
…ネ!

玉置浩二と青田典子のPTSDをめぐる冒険

玉置浩二が
普通ではないことについては

説明は不要だと
思います。

中国の曲芸師でもあるまいし
こんなにコロコロと
変わり身の術が使えるものだろうか

【解離】以外に
説明がつきません。

DV加害者かどうかについては
よくわかりませんが

彼にもなんらかの
トラウマがあり

ドラキュラ化したのでしょうね。
 ―ドラキュラに血を吸われると
  ドラキュラになってしまいます。

青田さんのご無事を祈りますが

空しい…しょぼん

本人にとっては
安全地帯かもしれませんが

【(トラウマ)回避地帯】
くらいに改名したら

PTSDだらけの
時流を受け
再ヒットするでしょう。

歌詞の分析しなきゃにひひ
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『風の絵師』での手を焼く師弟関係=達磨&慧可の伝承

『風の絵師』で1つ
直視できなかった映像があります。
主人公の斬首刑が確定したとき
師が自分の手を火にくべて
命乞いをするシーンです。
皇帝はこの二人の人間関係に
嫉妬を感じるほど
心打たれます。
PTSD研究家翠雨の日記
ドラマだと分かっていても
俳優はやけどをしていないと
分かっていても
とても見られませんでしたが
このショックのおかげで
少しわかったことが
あります。
子どもや弟子に手を焼くとか
仕事などで手を尽くすと言いますが
これはその究極の象徴表現で
ただ困っているとか
迷惑だとか
ベストを尽くす
そういうことでは
説明しきれないものを
表現しているように
思いました。
弟子の才能を信じているから
その継承のためには
絵師としての自分の手など
二の次にする激しさですね。
そう言えば…
$PTSD研究家翠雨の日記
達磨が振り向いてくれないから
ひじを差し出した
慧可という禅師がいました。
玉音放送
「耐えがたきを
耐え
忍びがたきを
忍び…」は
ここからの引用です。
    ―忍ぶでいいと思うのですが
     偲ぶだったら
     まさしくPTSD予防措置ですね。
     敗戦のショックは
     直面しがたいものですが
     それを否認したら
     PTSDになりますから
     偲びがたきを偲びましょうと
     …
昔の人も私のように
怖がりだったのでしょうか
達磨の真髄はなるべく残しながら
かわいく親しみやすくしながら
目を入れさせることで
工夫をしました。
$PTSD研究家翠雨の日記
目を入れるというのは
自分の目でしっかりみて
自分の頭で考えるということですね。
赤はもちろん火です。
禅宗も陰陽五行も満載の
韓国ドラマですドキドキ