月別アーカイブ: 2010年5月

金属バット仙台教諭殺害で元祖PTSD事件を思い出そう

仙台市泉区で
私立常盤木学園高校教諭
松本秀夫さん(56)が
自宅玄関先で殺害された事件で
松本さんのそばに
血の付いた金属バットが
落ちていたそうです。
あれは
いつのことだったでしょうか?
日本人は忘れっぽくて
困ります。
受験のストレスから
親を金属バットで殴り殺した
事件が
世間を騒がせました。
今では
不可解な事件どころか
猟奇的な事件さえもが
「そんなことも
あるでしょう」
とばかりに
スルーされる
世の中に
なってしまいました。
ここで
金属バット事件に
立ち還って
考える必要が
あります。
犯人のしたことは
犯罪ですが
このような手法をとった点においては
世の中への
アンチ・テーゼを
感じます。
一種のカナリアでしょう。
その犠牲精神から
我々は少しは
学ばなければ
ならないでしょう。

祇園祭の蟷螂山~ユング派精神科医をASDから死に至らしめたカマキリのイメージ

PTSD研究家翠雨の日記
かまきりのイメージは
あまりよくないかもしれません。
PTSD研究家翠雨の日記
しかし
祇園祭では
蟷螂山
別名かまきり山”は
一番人気です。
屋根の上のからくりを施したカマキリが
カマを振りあげて動くもので
「蟷螂の斧を以て
降車のわだちをふせがんと
欲す」という
自分の力をわきまえずに
大敵に立ち向かうことで
勇敢さを賞した
中国の君子の故事に由来します。

4年前
箱庭療法の学会で
DVシェルターでのケースを発表した
のですが
そのとき指定討論者だった
ユング派精神科医は
DV被害の子どもに箱庭療法をするなど
危険だ
勉強しなおしてきなさいと
壊れたテープレコーダーのように
吃音がちに繰り返し
「どこが?」と尋ねる私に
かろうじて
「カマキリがいけない」
と言い
一年後死亡しました。
絵画や箱庭の表現には
凄い力があるのだと
確信しました。
いい加減なユング心理学を
流布してきたけれども
これからは
そうもいかなくなりそうだ…
ショックを受け
ASDを発症し
人前はばからず
壊れたテープレコーダーと化す
失態を演じ
それに耐え切れず
死亡したと
推測されます。
イメージの力
恐るべし!
です。

第52回全日本こけしコンクールと少子化

PTSD研究家翠雨の日記
こけしは子消しです。
悲しいことですが
人間の尊厳は
歴史に翻弄されてきました。
軍人がたくさん必要な時代には
産めよ増やせよ
進駐軍の問題や
引き上げの地獄の
敗戦の混乱時には
優性保護を
考えました。
少子化の加速は
日本人の集合的無意識
歴史から学んだ結論
なのでしょう。
政治の力より
大和魂の方が
一枚上手です。
西田幾多郎は
そういう知恵を
【歴史的身体】
呼びました。

河合隼雄のASD死を理解しない限りユング派は再生できないだろう

2007年9月2日に
臨床心理学者で
元京都大学名誉教授の
故河合隼雄さんの追悼式が
京都市左京区の国立京都国際会館で
行われました。
臨床心理学の学会でも
法事が繰り返されています。
京都大学によると
河合隼雄さんは
2006年8月に文化庁長官として
奈良県明日香村を
謝罪で訪れた後に
重い脳梗塞で倒れ
一度も意識を回復することのないまま
2007年7月19日に死去しました。
PTSD研究家翠雨の日記
この壁画にショックを受け
ASD(急性ストレス障害)から
還らぬ人となったのです。
C,G.ユングに感銘を受けながら
陰陽五行や仏教を
真に理解できなかった
事実に直面させられた
トラウマによるものです。
このことを
真に理解できない限り
河合隼雄の死は
浮かばれないでしょう。

葵祭を前に行われた「御禊の儀」に学ぶリセットの象徴

PTSD研究家翠雨の日記
 
京都三大祭の一つ
葵祭(15日)に向け
斎王代が身を清める
「御禊(みそぎ)の儀」が
京都市北区の上賀茂神社であり
第55代斎王代の京都府立医科大2年
川崎麻矢さん(20)が
十二単(ひとえ)姿で
神事に臨みました。
 
川崎さんは
童女や女官ら約50人を伴い
境内を御手洗(みたらし)川まで
進み
参拝者ら約2300人が見守る中
両手の指先を水に浸し
川に架かる「橋殿」から
罪や汚れを託した
形代(かたしろ)を流しました。

禊は身削ぎで身殺ぎです。
日本人は
蛇が脱皮するみたいに
常に心身を更新しなければ
自分に魂の死をみるのです。

ここを間違って
本当に死んでしまったり
身体を傷つけることを
心理学では
アクティング・アウト
(行動化)と
呼びます。
川崎さんのように
【象徴的】に
禊をすることが
大事です。
お雛さんを流すのも同じです。
自分がそのまま水に身を投げては
なりません。

中島みゆき『世情』~PTSDをスルーする社会

歌詞 中島みゆき
作曲 中島みゆき
 
世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする
※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく
  変わらない夢を、流れに求めて
  時の流れを止めて、変わらない夢を
  見たがる者たちと、戦うため※

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている
包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる
中島みゆきは
なぜにこうも
PTSD曲ばかり目
書いたのでしょうか?
予言力は巫女みたいです。
本人は
「あぁら?失恋の詩書いただけですわ。
おっほほほほー」
ってとぼけそうですが…しょぼん

中島みゆき『孤独の肖像』にみるトラウマ表現の変遷

同じ詩(?)だと
思うのですが
歌い方で随分
印象が変わるものですね。
同じこと言っても
こんなに違うとは…
うまく取り込めなかったのですが
このジャケットのバージョンが古いモノダウンです。
(下の曲を聴いた後に選択できます)
PTSD研究家翠雨の日記
そして
数年経ってこうなりましたダウン

心の中の傷は消せないし
消えないとか
二度と傷つきたくないから
誰も愛せなくなるとか
暗闇の中
手探りで歩き出したとか
トラウマの説明
そのものですね。
また最初の激しさを取り戻したり
ブレをくりかえしながら
変容してゆくのでしょう。
ってことは
ブレもエネルギーになること
あるんでしょうね。

確率99.9%で発見されたノアの方舟と陰陽五行説

旧約聖書に登場する
「ノアの方舟
(はこぶね、Noah’s Ark)」を探す
中国とトルコの探検家チームが
先月26日
方舟が漂着したといわれる
トルコのアララト(Ararat)山の
山頂付近で
方舟の木片を発見したと
発表しました。

旧約聖書の物語では
堕落した人類を
大洪水で滅ぼそうとした神が
ノアに方舟を作って
あらゆる動物をつがいで
乗せるように命じ

洪水が引いた時
方舟がたどり着いた陸地が
アララト山の山頂とされて
います。

日本には
553年ころ
陰陽五行説が
船に乗って
やってきました目

陰陽は
オス・メスのつがいも
意味します。

十二支は
12種の動物です。

よく似てますね。

人間が考えることには
【元型】があるような
気がします。

PTSD研究家翠雨の日記
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加齢により我慢強くならない現代日本人のトラウマ

世間の人たちは

公務ができず
フレンチレストランでお食事すると
仮病扱いしますが

ピエール・ジャネは
そういう【心的水準】があることを
教えてくれます。

ストレスでそういう
心的水準に落ち込んでいる
というのです。

同じジャネの理論に
「歳を取れば我慢強くなる」

というのがあるそうです。

これはどうでしょうか。

今の日本の高齢者は
結構いらだってます。

ピック病なんてのも
あるくらいで
 ―暴走老人ですね。

すぐ大きな声で
怒り出す人多くて
注意するのも気が引けるし

周囲がPTSDになりそうです。

どうも
自然な心理学理論に
反するような
異常現象が
あるように思います。

ピック病もかんしゃく老人も
PTSDなのかなぁ

そう感じます。

感情のコントロールを失った人たちですから
理由も案外素直に暴露します。

母親に心中を迫られたとか
貧富の差をどう思うだとか
あなたは私を殺す気かとか

それでひどく傷ついたことは
否認してますがね。
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帽子に想う【百尺竿頭一歩進めよ】の実際

PTSD研究家翠雨の日記

『平田暁夫の帽子』の書評を
北澤憲昭という美術評論家が
書いている。

自分の身長というのは
日頃感じているものより
ちょっと高い。

眼の高さを
自分の身長と勘違い
しやすい

眼の上に
広口ビンのように
虚空に向かって開かれている
部分も自分なのだ。

なるほど…

しかもそこは頭で
頭脳のありか…

人間はなんと自分を
矮小化し
見くびる性質があるのだろう。

【百尺竿頭一歩進めよ】の
公案の意味が
少し身近になりました。

【如人千尺懸崖上樹】も
百を千にしただけで
同じことです。

『崖の上のポニョ』でしたね。

PTSDでだめだぁと思うのは
まだ早い!

バレリーナのように
つむじを意識して
背伸びして

もう一度
自分の無意識からの
謎かけである公案に
取り組んでみたら
どうだろう。

最後には
ちょっとつむじを曲げて

斬新にすることを
お忘れなく!

おへそも曲がるって?!
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