月別アーカイブ: 2010年5月

箱庭療法の水と砂

PTSD研究家翠雨の日記

箱庭の箱の中には
砂があります。

砂を一面に
なだらかにした状態で

「どうぞ」と
言われます。

①砂の上にミニチュアを置く人
②砂の感触を楽しみながら
 山や川など作ってから
 ミニチュアを置く人
③砂に字や絵を描く人

砂を触るかどうかは
結構重要です。

砂を触るときは
心を根本から
再編成したいと
思っているとき

砂に触れないときは
そこまでの変化を
求めていないとき

必要がない場合もあるし
心が崩れるようで
恐ろしいから回避している
場合もあります。

砂を動かせば水が生まれます。
 ―縁起の世界です。
  すべては関わっています。
  砂を触れば水を呼ぶのです。

表現は自己表現ですから
場合によっては
こころに地震と津波が
起こることもあります。
 ―無意識ですから
  直接「大変ダー」とは
  感じませんが…

聖書にはノアの洪水のことが
書かれていますし

日本もかつて
陰陽五行説が輸入されたときに
文化的洪水で
水浸しになりました。

洪水からの立ち直りは
世の東西共通の
無意識的モチーフです。

洪水は起こっても
よいのです。
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させられ体験か解離症状か=統合失調症かPTSDか

あんまりじっくり考えずに
いろいろしゃべるものですから
学生さんから
よく質されます。
先週は…
私「統合失調症にさせられ体験って
ありますが
PTSDにも解離がありますし
ヒステリーのキーワードは【失】
失立・失歩・失声・失明…失神
なので…」
すかさず
手をあげた学生さん
「させられ体験って
専門用語なんですか?!」
堅苦しい言葉で言えば
【作為体験】ですが
させられ体験も専門書に出てきます。
シュナイダーという人は
これがあれば統合失調症と言ってもよいくらいの
第一級症状であると言ってます。
厳密に言えば
させられているという意識ですから
解離を起こした場合の
全く(させられた感覚を)記憶がない場合から
状況から考えて
どうも自分がしたらしい

(我に返って)大変なことをした
レヴェルはいろいろでしょうが
させられているという自覚はないように
思います。
なので同じではない。
しかし逆に言わせてもらえば
最近の事件の容疑者について言えば
させられ体験ではなく
解離体験が多いのではないでしょうか。
要するに
統合失調症からくる犯罪ではなく
PTSDからくる犯罪が
多いのではないでしょうか。
裁判で重視して欲しい
視点です。

こころのふるえを大事にする人であってください(十牛図)

中学校の卒業記念に
国語の先生が書いてくださった言葉を
想い出しました。
当時は意味が分からなかったのですが
妙にこころに響いて
いつまでも覚えています。
どこか強がってたから
ひっかかったのかも
知れません。
でも
自分のことだとは考えないので
(否認ですがね。必要な時期も
あるのでしょうか)
反発することもなく
いい形で記憶に残りました。

禅の悟りの過程
なんて言うと
大げさな感じがするかと
思いますが
悟りにも
大きな悟りと
小さな悟りがあります。
小さな悟りは
自覚と言ってもいいし
気づきと言った方がいいのかも
しれません。
ちなみに
悟りは覚りとも
表記されます。
大小の違いはあっても
聖者と凡人で
自己実現(個性化の過程)のシステムは
同一なんです。
PTSD研究家翠雨の日記
悟りの過程を表した
第一図ですが、
なんか不安そうですね。
ピクニック気分ではありません。
でもこの不安が
自己実現への
覚りへのパスポートなんですよ。
これがあるから
がんばれるんです。
これがエネルギーに転換するんです。
転換ヒステリー
(PTSD)じゃないですが
不安なんて
普通はネガティブでありがたくないものが
貴重なんです。
だからこれを
薬で黙らせるなんて
実はありえない発想なんです。

バラバラ殺人死体遺棄事件への関心の高さ

2日前の
新潟村上葡萄での
バラバラ死体遺棄事件に関する関心は
高いようですね。
実に
猟奇的な事件です。
そしてその後の情報がありません。
そう言えば
島根の事件も同様です。
もう大分時間が経過してますね。
周辺の方々の不安も
高いと思います。
団結して
不安を分かち合い
できるだけ一緒に行動することで
少しでも不安を軽減してほしいです。

箱庭療法の道具は専門店で?

私学の学校では
いわゆる
心理療法室や
カウンセリング
なんてものでは
ないかたちで
なんとかこころの支援を
しようとするところも
出てきているようです。
予算をもらってるんだけど
このくらいの広さなんだけど
壁の色はどんなのが
いいですか?
畳で靴脱いだ方が
いいと思うんですけど
どうですか?
鏡ってあったほうがいいですか?
いけませんか?

いやぁ
すごく相手の身になって
考えておられます。

うーんと
一緒に考えてたんですが
結局
世の中にPTSDの人が多いとしたら
その人も私も医者じゃないから
遺伝性の重い病の人には
全くの非力なんですよね。
そういうことに気づいて
ここはやはり
【表現】の方向で
【直視】の方向でいけば
いいんじゃないかと
いうことに
とりあえず落ち着きました。
さらに
箱庭の道具って高いんでしょう?と
質問され
いえいえ
商品化された科学的な物質である砂より
本物を天日干ししたものの方がいいし、
わざわざ旅先で拾ってきたもの
海のもの
そのほうが値打ちがあると
お教えしました。
専門家も結構凝る人多いです。
ミニチュアも
最近はいろいろありますよね。
私はおまけつきのお菓子
相当買いましたよ。
 ―過去形はちょっとウソかも…
あんまりほめられたことでも
ないですが…
他にも
いろいろ拾ったり
もらったり
楽しいですよニコニコ
昔から日本にあった箱庭も
そんなものだったわけだし。
その話はまたいつか!

箱庭に置かれるお墓や死の世界

心理療法の本質は
【死と再生】
「死にたい」と思うのは
魂が再生したいと叫んでいるから
だと思います。
 ―だから早まってはいけないんですね。
 (本当に死んでしまいたいわけでは
 ないのではないのですから) 
なので
箱庭療法のお店の
メ★コ★なんかでは   ←有名メーカー
            (高いからあまり買わない)
お墓は必ず置いてありますし
箱庭セットには必ずあります。
こんな感じで
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
こんな風に使われます。
別にふざけてるのではなく
真面目に置かれます。
(置かれる必要があったのです)
PTSD研究家翠雨の日記
  ―クライエントさんの作品はアップできないので
   イメージ写真の取り込みですが…
PTSD研究家翠雨の日記
お墓ではなく、砂漠の
さびしーい表現になる場合もあるでしょう。
砂に触れない場合でも
変化への願望に満ちた作品ってありますね。
「そんなの置いちゃダメ」
「もっと明るいものにしなさい」
「お花はどう?」
こういうことを言うのは
逆にありえないんです。
お墓置いたら(危険な指標だから)
薬漬けなんていう発想は
もはや悪魔の仕業ですよ。

箱庭療法の水と砂

PTSD研究家翠雨の日記
箱庭の箱の中には
砂があります。
砂を一面に
なだらかにした状態で
「どうぞ」と
言われます。
①砂の上にミニチュアを置く人
②砂の感触を楽しみながら
 山や川など作ってから
 ミニチュアを置く人
③砂に字や絵を描く人
砂を触るかどうかは
結構重要です。
砂を触るときは
心を根本から
再編成したいと
思っているとき
砂に触れないときは
そこまでの変化を
求めていないとき
必要がない場合もあるし
心が崩れるようで
恐ろしいから回避している
場合もあります。
砂を動かせば水が生まれます。
 ―縁起の世界です。
  すべては関わっています。
  砂を触れば水を呼ぶのです。
表現は自己表現ですから
場合によっては
こころに地震と津波が
起こることもあります。
 ―無意識ですから
  直接「大変ダー」とは
  感じませんが…
聖書にはノアの洪水のことが
書かれていますし
日本もかつて
陰陽五行説が輸入されたときに
文化的洪水で
水浸しになりました。
洪水からの立ち直りは
世の東西共通の
無意識的モチーフです。
洪水は起こっても
よいのです。

大阪市旭区千林のパチンコ店無差別殺傷容疑者は再犯

昨日逮捕された容疑者(35)は

1997年に
愛媛県内でバスを乗っ取り

運転手にナイフを突きつける
などしたとして
銃刀法違反(所持)などの
罪に問われ
松山地裁で
懲役1年4カ月の判決を受けています。

【解離】体質であることは
明らかです。

放置は
自傷か他害しか
生まないのです。

誰のためにもなりません。

さらに言えば
治療中のPTSDの方々
その他の診断名
特に統合失調症やアスペルガーの方々への
偏見助長が懸念されます。

きちんとした診断基準や
治療法の徹底がなされるまで

こうした奇妙な事件は
止むことがないでしょう。
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DV被害児のトラウマと箱庭療法

DVシェルターにやってくる子は
箱庭大好きです。

外部の方々は
「疲れてて
したくないんじゃないの?」って
言います。

私も最初そう思ってました。
【二次被害防止】のために
こちらからは何も聴くなするなと
重々言われてましたし…

でもこれって
【うつ病】の発想ですね。

本物のうつ病なら
何もしたくないし
何もできないです。

ただただしんどいって
感情反応があるだけ。

こちらも
無理させちゃいけません。

休養が必要です。

そして
精神科で投薬治療してもらわねば
ならない対象です。

でもDVシェルターの子どもたちは
時にはけんかになりそうなくらい
箱庭表現をしたがります。

 
なぜでしょう。

表現され
受容され
理解されることで
自己融解したいと
待ち構えている
トラウマ
(心的外傷)

あるからです。

「自分の世界創るって
気持ちいい!」って
言ってますよニコニコ
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箱庭療法って?

箱庭療法ってことで
時々書いてますが

こういうのです。

砂の箱に

こんな風にも置けるし

PTSD研究家翠雨の日記

こんな風にも置けます。
PTSD研究家翠雨の日記

置かない自由もあります。

つまり自由なんです。

そして同じものは1つもないですから

すべては自己表現です。

自己は
自己チューの自己ではなく
  ―これは【自我】や【意識】です。

仏教でいう【真の自己】
  ―ユングの自己実現の自己は
   これに近いです。

PTSD研究家翠雨の日記
  ―『十牛図』の第一図
   自分の牛が居なくなって不安げに
   探してます。
   牛=真の自己です。

自分がどうなりたいか
それには何が邪魔なのか
どうしたらいいのか

自分のこころに聴く方法です。
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