月別アーカイブ: 2010年5月

明恵上人の【あるべきようは】は西田哲学の【善】ユングの【自己実現】

「栂尾明恵上人遺訓」にあるそうです。

『人は阿留辺畿夜宇和
(あるべきようは)の
七文字を持(たも)つべきなり

僧は僧のあるべきよう
俗は俗のあるべきようなり。

乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう
臣下は臣下のあるべきようなり。

このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』

これは
貞永式目の
精神的バックボーンをなすもの
とも言われているそうです。

「~は」で終わっていますから
「どうだ?」という疑問形の
ニュアンスがあります。

つねに自分に問い続ける。
自分の頭で考え続ける。
 ―禅問答で
  師 「~よく持(たも)つかぁー」
  弟子「~よく持(たも)つぅー」
  
  というやりとり見ますよ。

「あるがままに」 
  ―母性的です。うちの子はみなかわいい。ラブラブ!
「あるべきように」
  ―父性的です。そういうのはうちの子ではない。
         出てゆけ!叫び

どちらでもないのです。

人に聞くのは簡単。
でもPTSDの場合は
下手すると地獄を見ます。

つらくても
どんなに難しくても

【一太極二陰陽】
陰でも陽でもなく
陰陽(善悪・損得)の発想のおおもとに
立ち返って
その場その場で
自分の頭で判断する。

そうしたら
それがユングのいう【個性化の過程】
(自己実現)に
なっているのではないかと
思います。
 ―専門家でもここをよく分かってない人多いです。
  ハッピーエンドだと勘違いしてるにひひ

西田幾多郎は
「松は松、竹は竹…」で生きるのが
人間の【善】であると書いています。

簡単そうでむつかしいですね。
でもやるしかないのです。
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大阪市中央公会堂天井画にもみられる日本人のリセットのありかた

概観は
PTSD研究家翠雨の日記
まったく洋風ですが

特別室の天井は
PTSD研究家翠雨の日記

日本的です。

『古事記』の
イザナミ&イザナギが
国づくりの基礎
天のヌボコを授かる場面です。

イザナギ&イザナミなんて
ぺこちゃんぽこちゃんじゃあるまいし

PTSD研究家翠雨の日記

安直なネーミングですね。

いえいえ
陰陽の二元論
つまり
不二家

不二を
示しているのです。

西洋と東洋の
大きな違いです。

失意から立ち直る時
東洋人は西洋人のように
安直にはいかないのですが

立ち直ったときは
パワフルになりますドキドキ
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『めだかの学校』とポニョの妹たちとPTSD

PTSD研究家翠雨の日記

音譜めだかの学校は
川の中

誰が生徒か先生か
誰が生徒か先生か

みんなでお遊戯しているよ

 
八卦    ←森羅万象が変化する
↑↑↑↑


↑↑  ↑↑
陰・ 陽   ←先生&生徒
       (医者・患者)関係を見直す
 ↑
 太極    お遊戯  むつかしいこと言わず
            踊ってみる!
            歌ってみる!
             →常識にとらわれず考えなおしてみる
                (瞑想法ドキドキです)

中国から伝わる
【一太極二陰陽】のリセットの法則です。

スサノヲを始めとして
PTSDを克服する
勇者の秘儀です。

めだかは
目高

お目が高い目方が使用します。

その他大勢は
ポニョの妹たちみたいに
『なんだかなぁ』と思いながらも
現実適応しようとします。

PTSD研究家翠雨の日記

そして
無意識のうちに
一生を終えてしまいますドクロ

恐ろしいことです叫び
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大阪市旭区千林のパチンコ店無差別殺傷容疑者は再犯

昨日逮捕された容疑者(35)は
1997年に
愛媛県内でバスを乗っ取り
運転手にナイフを突きつける
などしたとして
銃刀法違反(所持)などの
罪に問われ
松山地裁で
懲役1年4カ月の判決を受けています。
【解離】体質であることは
明らかです。
放置は
自傷か他害しか
生まないのです。
誰のためにもなりません。
さらに言えば
治療中のPTSDの方々
その他の診断名
特に統合失調症やアスペルガーの方々への
偏見助長が懸念されます。
きちんとした診断基準や
治療法の徹底がなされるまで
こうした奇妙な事件は
止むことがないでしょう。

朝日新聞『獅子頭』第七十話~七十三話 慌てない慌てない

腕を見込まれた
料理を通しての
日中友好ができるからと

家族とのツライ別離を乗り越えて

日本にやってきたのに

かび臭いアパートに住まわされ

職場では
怠け者に見られたらソンだから
掃除もしながら
忙しそうに振舞えなんて
アホなこと言われたり

祖国では
文化革命以後消えた
ちゃらちゃらけばけばした女性に
話しかけられたり…

『なーんだぁ?』という
日本での日常です。

しかし
変なプライドから
自意識過剰になって
ぶつかるようなことはせず

釈迦リキになって
適応するでもない

 ―やはり本場中国の
  【一太極二陰陽】のリセットの法則を
   個性化の過程では繰り返す
のでしょう。

二順の態度が
おそらく次の
展開を生むのではないかと

期待ドキドキしています。
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DV被害児のトラウマと箱庭療法

DVシェルターにやってくる子は
箱庭大好きです。
外部の方々は
「疲れてて
したくないんじゃないの?」って
言います。
私も最初そう思ってました。
【二次被害防止】のために
こちらからは何も聴くなするなと
重々言われてましたし…
でもこれって
【うつ病】の発想ですね。
本物のうつ病なら
何もしたくないし
何もできないです。
ただただしんどいって
感情反応があるだけ。
こちらも
無理させちゃいけません。
休養が必要です。
そして
精神科で投薬治療してもらわねば
ならない対象です。
でもDVシェルターの子どもたちは
時にはけんかになりそうなくらい
箱庭表現をしたがります。

 
なぜでしょう。
表現され
受容され
理解されることで
自己融解したいと
待ち構えている
トラウマ
(心的外傷)

あるからです。
「自分の世界創るって
気持ちいい!」って
言ってますよニコニコ

箱庭療法って?

箱庭療法ってことで
時々書いてますが
こういうのです。
砂の箱に
こんな風にも置けるし
PTSD研究家翠雨の日記
こんな風にも置けます。
PTSD研究家翠雨の日記
置かない自由もあります。
つまり自由なんです。
そして同じものは1つもないですから
すべては自己表現です。
自己は
自己チューの自己ではなく
  ―これは【自我】や【意識】です。
仏教でいう【真の自己】
  ―ユングの自己実現の自己は
   これに近いです。
PTSD研究家翠雨の日記
  ―『十牛図』の第一図
   自分の牛が居なくなって不安げに
   探してます。
   牛=真の自己です。
自分がどうなりたいか
それには何が邪魔なのか
どうしたらいいのか
自分のこころに聴く方法です。

L・ローハンにアルコール依存症監視ブレスレット着用を命じる米国と日本のPTSD意識

PTSD研究家翠雨の日記

2007年の飲酒運転の罪での
保護観察下で
アルコール依存症の治療コースを
受講するように命じられていたが
出席しなかった
として

当地の裁判所は
命令の期日に出廷しなかった
米女優・歌手の
リンジー・ローハンさん(23)に対して

飲酒をモニターするブレスレット
着用と当地での抜き打ちの
アルコール検査を受けることを
命じました。

説明のために裁判所に出向くよう
要請
されていたが
カンヌ国際映画祭参加のために
滞在していたフランスで
パスポートを盗まれたとして
出廷しなかったようです。

アメリカを賞賛するつもりは
さらさらないですが

見習うべきところは
PTSDに関する知識と受容と
研究しようとする姿勢と
対策への意欲です。

まだまだ発展途上とはいえ
日本の学会とは雲泥の差ですむっ
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新潟村上葡萄でのバラバラ死体遺棄事件とPTSD

新潟県村上市蒲萄(ぶどう)の
国道7号脇にある
車のUターン場所の側溝に

人間の両脚があるのを
車で通りかかった
神奈川県の男性会社員(58)が見つけ
110番しました。

両脚はひざ付近で
切断されており
側溝に沿って平行に並んでいた
そうです。

猟奇的な事件ですね。

プロの殺し屋でない人間による
バラバラ殺人の増加にも

国民がすぐ慣れてしまうから
(なぜ慣れるのだ!パンチ!

猟奇度が増します。
加害者が社会復帰した
神戸の事件を彷彿とさせます。

犯人は何もそんなつもりではなく
【解離】により
統合失調症の【させられ体験】さながらの
マリオネット
になってしまった
だけなのでしょうが

C.G,ユングのいう【集合的無意識】
西田幾多郎の【歴史的身体】という名の

人類の記憶
不思議なバランス感覚を
もっているように
感じます。

日本では
「神のはからい」とは言いません。
すべてはこころが創りだした
不始末です。
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明恵上人の【あるべきようは】は西田哲学の【善】ユングの【自己実現】

「栂尾明恵上人遺訓」にあるそうです。
『人は阿留辺畿夜宇和
(あるべきようは)の
七文字を持(たも)つべきなり

僧は僧のあるべきよう
俗は俗のあるべきようなり。
乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう
臣下は臣下のあるべきようなり。
このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』
これは
貞永式目の
精神的バックボーンをなすもの
とも言われているそうです。
「~は」で終わっていますから
「どうだ?」という疑問形の
ニュアンスがあります。
つねに自分に問い続ける。
自分の頭で考え続ける。
 ―禅問答で
  師 「~よく持(たも)つかぁー」
  弟子「~よく持(たも)つぅー」
  
  というやりとり見ますよ。
「あるがままに」 
  ―母性的です。うちの子はみなかわいい。ラブラブ!
「あるべきように」
  ―父性的です。そういうのはうちの子ではない。
         出てゆけ!叫び
どちらでもないのです。
人に聞くのは簡単。
でもPTSDの場合は
下手すると地獄を見ます。
つらくても
どんなに難しくても
【一太極二陰陽】
陰でも陽でもなく
陰陽(善悪・損得)の発想のおおもとに
立ち返って
その場その場で
自分の頭で判断する。
そうしたら
それがユングのいう【個性化の過程】
(自己実現)に
なっているのではないかと
思います。
 ―専門家でもここをよく分かってない人多いです。
  ハッピーエンドだと勘違いしてるにひひ
西田幾多郎は
「松は松、竹は竹…」で生きるのが
人間の【善】であると書いています。
簡単そうでむつかしいですね。
でもやるしかないのです。