長谷川等伯による
― 私の頭の中では
一休・利休と同類項です。
利休像です。
茶の湯とは
ただ湯を沸かし
茶を点てて
飲むばかりなる事と
知るべし
言うは易し、行うは難し。
利休百首からです。
―百人一首の反対ですね。
普通のことなのですが
それが奥深いのです。
禅の世界そのものですね。
坐禅は大変なので
少し文化的にしたのですが
足が痛いのは同じです
【否認】するな!も
同じですよね
当たり前だけど
難しい
でも
死守すべきポイントです。
否認は無意識のメカニズムです。
それに意識が抗うのですから
これはもはや
狂気の坐禅そのものです。
禅僧でなくても
PTSDになったら
坐禅してるようなものです。