【赤子の手をねずる】
抗する力のないものを虐待すること
ちょっと古いことわざ辞典に
書いてありました。
いじめや虐待が
簡単に起こること
その普遍性が
表れてます。
人間には良心がありますから
卑怯なことをするには
良心を解離させる必要が
あります。
【解離】をPTSD特有の
極端な病理現象と捉えるのではなく
普通にあることであるという
事実を認めることで ←【否認】しない
かえって
PTSDは理解されるように
感じます。 ←【受容】
―学校では不登校やいじめを
ながらく否認してきました。
うちの学校にはないと
校長は言わされてました。
精神分析では
防衛機制は誰にでもあるが
使いそこなったり
過剰に依存した結果が病理であると
しています。
そして防衛機制の中には
高尚なものもあるのですよ。
心理学の乱世
定義も教科書もありませんから
不安を与える二次被害も
多いようです。
―かつては言うことを聞かない
患者さんや学生に
統合失調症を疑うと
脅す専門家いましたよ!
赤ん坊は首をひねられて
生まれてくるそうですね。
誤診されて
首をひねることから
PTSD克服の過程が
始まりますしね。
創造的な解離も
あるでしょう。
何事にも陰陽があるのです。
ここをさらに一歩進めた
理論の普及が待たれます。
【解離】という言葉の誤用による二次被害
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