月別アーカイブ: 2010年6月

長年のDV被害を否認して口が開かなくなった事例

さまざまなトラウマがあって
PTSDなる
さまざまなヒステリー症状を
形成します。
DV被害を【否認】していた
ある女性は
口が大きく開けられませんでした。
食事もできるし
会話もできたので
しばらく
気づかなかったのですが
歯医者さんに行って
叱られました。
ふざけてるみたいだから
でしょうね。
この方は
真面目で
子どもが離婚を勧めても
DV夫のことを
可愛そうな人なんだからと
説得してました。
 ―たしかにDVという【解離】を起こすような
  トラウマティックな幼少期を過ごしています。
言いたいことを言わないで
抑圧していて
口が開かなくなるなんて

なんてわかりやすい…。
 ―本人は気づかないのでしょうが。
精神分析が生まれた
アンナさんの症例は
言いたいことを言えなかったために
コップから水が飲めなく
なりました。

さまざまな症状即PTSD

器質的問題がないのに
起こる





―今では【解離】と呼ぶのかな?
精神分析が誕生する
きっかけになったのは
アンナの症例
治療の後半
なぜだか
コップから水が飲めなくなった。
公務ができない。
学校に行けない。
一見
テンでバラバラな感じですが
すべて【解離】で説明がつくなんて
なんてシンプルな理論でしょうか。
これも
PTSD研究家翠雨の日記
一即多  多即一
一緒くたの原理です。
華厳経です。

箱庭療法未来系?

PTSD研究家翠雨の日記
アイテムが少ないのが
難点ですが
将来もっと自由になるでしょうね。
絵を描くように
表現できたら
絵画療法と
箱庭療法のあいだの
よさをもつ新しい方法になるかもしれません。
ネット相談室も
できるかもしれませんね。
カウンセリングの場合は
ネットでは無理だと
長らく考えられてきました。
話の間合いとか
声の微妙な雰囲気が
そぎ落とされるからですが
近い将来
コンピューターの進化で
そうでもなくなるような
気もします。
むしろ生身の人間が対応する
弊害が議論されるかもしれません。
逐一記録が双方に残るという
メリットもありますね。
そうしたら
逆にいい加減な専門家が減るかも
しれませんし…
専門家というものに
辟易しているので
―天に唾するようなものですが…
あれこれ妄想してしまいましたニコニコ

箱庭療法の鳥居やきりん

PTSD研究家翠雨の日記
鳥居とか
きりんさんとか
箱庭によく登場します。
無意識的に選ばれたもので
本人(意識)はなぜ
それを選んだのか
わかりません。
「きのうアルバム見てたら
鳥居があったのを
思い出して…」
「かわいかったから」
くらいは
言うかもしれませんが…
無意識の意図は
陰陽五行説なしには
解けません。
きりんは麒麟であることが
多いです。
特に最後の最後に登場する
きりんさんは
麒麟という土気の神さまの象徴です。
キトラ古墳には
4神しかありませんが
陰陽五行ですから
やはり5つあるはずで
実は麒麟という神が隠されているのです。
聖人が現れるとき
出没する神ですから
その人にとって
大事なときに
そのイメージが表現されます。
鳥居に守られている
右下は【地門】
対人関係で開かれていく場所ですが
PTSDの場合ここに
トラウマがよく表現されます。
麒麟のある場所は【天門】
願いが表現されます。
麒麟さんを待ってるんですね。
「死ぬー!」とか言って
暴れてても
PTSDを克服する意思が
表現されていますよドキドキ

『崖の上のポニョ』と十牛図第七図

PTSD研究家翠雨の日記
なぜ
これがあのかわいいポニョと
関係があるかわかりますか?
$PTSD研究家翠雨の日記
『崖の上のポニョ』は
世紀の公案小説です。
漱石の『門』が下敷きです。
つなぐのはソースケ
 宗助と宗介
崖の上と崖の下
一見全く違う物語に
共通【モチーフ】【元型】があります。
悟りの過程も
自己実現の過程も
程度の差があるだけで
メカニズムは同じです。

PTSDになると
禅僧でなくても
公案を解かねばならなくなるのです。

広汎性発達障害の親の虐待ブログ

いろんなブログがあります。

表現の自由はありますから
他人がとやかく
言うことではないのですが

目にあまり
ひとこと言いたくなるものも
あります。

子どもの発達障害についての
親のブログにひどいのを
みつけました。

世間の人たちに理解してほしいからと
子どもの顔と名前を出すのは
賛成できませんが
 ―我々は症例を発表するとき
  本人が特定できる情報はカットします。
  基本的には本人の了承を得ますが
  4歳の子に聞いても
  ネット公開の危険性はわからないでしょうね。

親の権限の範囲かもしれません。

しかし
子どもをちょっと笑いのネタにしている
感じがあり
 ―関西人の常套手段ですが
 自分のことではないので
 いかがなものかと…

今回は児童相談所に通報したい
くらいです。

子どもを丸坊主にしています。

丸坊主自体は悪くないでしょう。
そして
カットしすぎたのが原因で
そうなったらしいのですが

子どもは途中から悲壮な顔をしたそうです。

どうして
バリカンで刈る前に
希望を聞いてあげないのでしょう。

「切りすぎてごめんね」
「どうしようか?」
「(丸坊主の写真とか見せて)
こんなのしてもいいかな?
幼稚園のお友達びっくりするかも
しれないけどね」って
どうして
聞いてあげなかったのでしょうか。

悲壮な気持ちを
どうして掬い取ってあげないのでしょうか。

この親子の問題はここにあると
思います。

こんな親子関係の中では
とても正気になれないと

思います。

発達障害の核心
教えてもらいました。
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『雨ニモマケズ』と大円鏡智

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ  ←玄米菜食
アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
法華経とキリスト教との
間でゆれた
賢治ですが
これは仏教的です。
自分を計算に入れないで
(いないと考えて)
物事を判断する。
鏡のような
 ―私は美しく
  あの人は映さない
  という好き嫌いの感情がない
客観性を身につけられたら
生き易くなるのでしょうね。
楽しい記憶も
辛い記憶も
映画のスクリーンを観るように
想起する練習から
始めたらいいかもしれません。
行動療法の
プログラミングにも
採用すべきところは
あります。

薬害エイズの「実績」を精神科薬害にも!

「薬害エイズ問題を
解決した
菅首相は
リーダーシップを発揮し
全員救済を
実現してほしい」と訴えたのは
集団予防接種での感染をめぐり
452人が国家賠償を求めている
B型肝炎訴訟の原告ら
です。
精神科の薬害もお願いします!
だからといって
臨床心理士資格問題に
甘くならないようにも
重ねてお願いしておきます。
世の中には
ないほうがいいものも
あるのですから。

PTSDの悲劇はエディプス王よりだるまさんを待っている

「…ギリシア演劇の有名な人物たち
プロメテウスやエディプスなども
みなあの本来の主人公である
ディオニュソスの仮面にすぎなかった
ということだ。

これらすべての仮面の背後に
一柱の神がかくれているということ

これこそ、
あの有名な人物たちが
典型的な理想性をそなえていると
しばしば驚嘆される1つの本質的な
理由なのだ」

1つの元型があり
①それがいろいろな現れ方をすること
②文化には理想像があること

それは認めるところですが、

みなさんきっと違和感あると
思います。

エディプスは日本人にとって
理想か?

エディプスは、トラウマに気づき
自分で見ることをやめ
(針で目をついて盲目になる)
放浪し
その子孫もその影のなかで
そのトラウマのために
生きる物語です。

PTSD研究家翠雨の日記

神の(常識の世界)で完結しており
PTSDと共存しましょう
神様と出会えて幸せドキドキという世界です。

PTSD研究家翠雨の日記

仏教では
6つの世界
(トラウマに操作され
落ち込んだり、喜んだりの繰り返し)から
解脱しましょうということを
目指します。

二元論ではないリセットの哲学で
高次の完結してます。
PTSD研究家翠雨の日記

神は死んだのです。
自分の目でよく見て
だるまさんに目を入れましょう!
PTSD研究家翠雨の日記
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PTSDと悲劇の哲学

人間はなぜ【悲劇】が好きか。

容易に涙が出るからかもしれません。

自分のことだと
相当ひどい悲劇にであっても
笑ってしまいます。
 ―【反動形成】と言います。
 日本人の誤解されやすい特徴です。

他人の話だとつい気を許して
泣いてしまう。
 ―泣けるということは
  自分の無意識の中にも
  同様の悲劇があるということでしょう。
  【投影】です。

PTSD研究家翠雨の日記

カタルシスという言葉は
なにもフロイトが考えたものではなく
大昔から哲学で
取り扱われてきた概念です。
 ― 心理学なんて
   哲学宗教を源泉とした新興宗教ですよ。
    
新興宗教が新しい宗教になるかどうかは
   ①源泉を無視しないこと
   ②源泉に意味ある発展が認められること
   
   ですが

   「べっつにぃ、テツガクじゃないし!」
   って詭弁で反撃されるかも叫び

PTSD研究家翠雨の日記

ニーチェも最初の著作で
取り扱っています。
そして文献学会から
村八分にされたそうで

…相当共感しますしょぼん

古典を扱うと
嫌われやすいのは
世の東西同じかもしれないですね。

でも扱わなくていいということ
ではないですねニコニコ
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