数分の遅れに遭遇
今日のアナウンスは
「○○駅ホームにて
気分の悪いお客さまが
おられたので
救急隊の手配を
しておりましたため
発車が遅れました。
ただいま●●駅を
7分遅れで…」
というものでした。
うーん
納得できるような
できないような…
数十分後
別にもっと
手のかかることが
あったらしく
教室では
学生さんが6分の一くらい
遅刻してきました。
主任の先生が
「阪和線の事故で。
すみません…」
いえいえ
先生のせいではないです。
しかし
遅刻した学生さんのなかには
教室の前から
ふてぶてしく入室し
ドアを閉めない学生一名
― 私としては
無意識的な意味を考えてしまいます。
『もっと人身事故のこと言ってよ!』
とか…
ずっと私語している1組
― 数学なら注意できても
心理学の場合は様子をみなければ
PTSDの回避ってことがあります。
無碍にはできないのです。
対照的に
妙に熱心に聴く
今年の学生
― 流れ上、あとで説明しますと
言ったとき、「今!」という反応が
あったりします。
…
よくはわからないけど
若い人たちは
それなりに
みな影響を受け
考え始めているようですね
月別アーカイブ: 2010年6月
トラウマは人を小人にする
車椅子の構造1つ
学ぶにしても
車椅子に
しっかり向き合って
―直面ですね!
よく観察しなければ
なりません。
車椅子という
存在に
圧倒されて
自我が
小人になってしまい
椅子の上に埋もれた
状態から
学ぶのは至難のワザです。
―PTSDが学習障害と間違われるのは
ここにあります。
なぜ
車椅子如きに
こんなに圧倒されるのか?
そこには
やはりトラウマが
あるからでしょう。
例えば交通事故に逢ったとか
車椅子の友人を亡くしたとか
…
無意識に真空パックした
記憶がうごめきだし
爆発寸前なので
その前で自我が萎縮するのです。
トラウマは人を小人にします。
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精神科医のPTSD研究を精神科医が認知
本日の朝日新聞の
書評ページで
中井久夫先生の
『私の日本語雑記』
(岩波書店)
について
精神科医・斉藤環が
書いている。
冒頭の4行を読んで
椅子から転げ落ちそうになった。
「著者は
【風景構成法】の開発や
統合失調症の【寛解過程】の研究
震災体験を契機とした
PTSDの研究などで
知られる精神科医である」
精神科医による
精神科医によるPTSD研究の
認知
ですね
認知されだすと
この国では案外
はやいかも
PTSDの安請け合い事情
「今度一緒に食事しようよ!」
「~へ一緒に行かない?」
「みんなでね。温泉でも」
人の顔みたら
人懐っこく
誘う。
誘われた場合も
二つ返事
「いいねえ!」
でも
隣から家族が
「ああ言ってますがね。
『奥さん、いつがいいですか?』
なんて聞いて下さるとね。
あたふたしてね。
急に
しどろもどろになるんですよ」
そういうビョーキらしい。
社交的とはいえないですね。
長期的会話は成り立ちませんからね。
外向性の高い病気なんでしょうね。
一人の人格のなかに
夢見がちで
楽しいことが好きな人格と
出不精な人格
誰とでも仲良くする人格と
人間嫌いで潔癖症な人格が
同居してるから
家の中では
「勝手に動くなよ!」
「あーっら、そーお?」
「これから気をつけてくれよな!」
って
けんかがたえないのかもしれません。
それで
特に何もしないのに
いつもイライラ疲れてるのかも…
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乳児を殺傷後実家裏に放置する母親の無意識的意図
生後10日の長男を
殺傷し
実家の裏に放置した
25歳の母親が
逮捕されました。
家族に
「うまくミルクがあげられない」などと
育児の悩みを打ち明けていた
そうです。
長男が死んだと思いこみ
自殺を図るなど
精神的に不安定です。
痛ましい事件が続きます。
しかし
今回
傷つけた子どもを
実家の裏に放置し
実母が見つけたというのが
象徴的です。
容疑者の無意識の思いは…
①私は解離同一性障害者です。
②私が実家で暮らした生い立ちの
どこかに①の原因があります。
③表向きの②ではなく
その奥に放置され見えない
トラウマを分析して
事件抑止を図ってください。
でしょう。
やさしい母親の人格
会社員として働いていた人格
自殺しようとするほど
自分を思いつめる真面目な人格
それらがうまく
人格に統合されますように…
ポニョはやがてグランマンマーレになる
ポニョが
自己実現(家出)しようとして ←よいこと
手に負えなくなった ←困ったこと
お父さんは
寂しく不安で
お母さんに相談しました。
なんとかやめさせる方法はないかと…
「わたしたちは
もともと 泡から生まれたのよ」と
― あーっら!
今更何言ってるの?って感じですね。
母性の凄さです。
お母さんはお父さんに
言っています。
観音菩薩みたいに神々しくて
海そのものみたいな
すごいお母さんですが
この方だって
昔は
海の泡で
そのうち妹たちのようになって
おそらくはポニョみたいな
大冒険をして
(親をヒヤヒヤさせて!)
こんな姿になったのでしょう。
…
すべては【象徴】的な比喩表現ですから
禅のお坊さん用には
こんな感じで…
修行により
豊かになった男性が
不安げな青年と出会い
導き始めるシーンで
表現されてます
PTSD克服した女性は
手強いかも…
同病相憐れまないPTSD&気づいたもの勝ち!
川で遊ぶ子どもを
描こうとしたが
溺れてる絵になってしまった。
本人が
遊んでいるといえば
遊んでいる
それでよいのですが
この人は
余裕があって遊んでいるつもりが
実は溺れていることに
気づいてしまった。
大きなトラウマの存在や
対人関係での傷つき
さらには緊張も
セットで
どっカーン!と
一度に気づいてしまった。
計画性がなく
ぼーっとしてて
何考えてるんだか…
って
PTSDの人が言ってました。
一般には、そう見えるんです。
―この病には
同病だから理解できるってことは
あてはまりません。
大分克服し、勉強した人は別格ですよ!
同じく幼児期の寂しさや寄るのない不安と
そこでの傷つきが
トラウマになってるんですけどね。
しかし
気づいたもの勝ち!です
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『竹取物語』ほのかに光る竹の節といのちの血脈
目覚めると
視界の一部に
水辺の光の反射みたいなのが
ある。
頭痛?
貧血?
見え方をあれこれ
試していると…
右腕のひじの内側が
暗闇に光っているのだと
わかった。
不摂生のせいかもしれないけど
チックみたいな
血管の一部の動きが
見えることって
ありますよね。
そして
その上の皮膚が波打ってたんです。
―波打つんですね。
知らなかった!
『うわぁ、神秘的』 ←創れる状況じゃないけど
試してみることお奨めします!
仏性やアッラーや創造主なんて
無意識にある真の自己にすぎない!
なんて偉そうに喝破してますが
生命の神秘を感じました。
『生きてるんだなぁ』
生かされてるんだなぁって方が
正しいかも
そして
竹取の翁がいつも行く
竹林でほのかに光る竹の節をみつけた
っていうのは
こういう感覚の
無意識による
文学的比喩表現だったのではないかな?
と感じました。
『竹取物語』の分析研究
ほったらかしにしてました
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そう言えば【暴走老人】はどこへ行った?
ある日
歩道を歩いていたら
向こうから
赤い自転車がやってくる。
「ぼーやぼや、すんな!」
突然大声で
どやされた。
見ればおじいさんだった。
元気のいいのはよいことだけど
『ここは歩道なのに…』
ちょっと
― 【一寸=だいぶん・相当】
でしたね!
悔しいですね。
…
しかし
一ヶ月くらいして
同じ状況に遭遇
覚悟を決めて
「あのね。ここは歩道でしょう!」
って言おうとしたら…
相手は転倒
「あなたはいつもいつも!」
私は言葉に力が入ると
つい右手の人差し指を立てて
ゆっくり動かしながら
しゃべるクセがある。
おりしも
パトロール中の
おまわりさんが
通りかかった。
この構図からして…
『うわぁ、老人いじめしてるって
思われたらどうしょう」
でも
2人のおまわりさんは
ニコニコしながら通り過ぎた。
去年の夏だったと思う。
ピック病と『暴走老人』って本流行ってましたネ!
皆さんは
今年お会いになりましたか?
ちなみに
転倒した老人は借りてきた猫みたいで
暴走中とは
別人格みたいでしたョ
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