月別アーカイブ: 2010年7月

『毒になる親』とPTSD問題の複雑性

親という存在は
ありがたい。

有り難いは
あることがむずかしいって
ことですから

神さまみたいな
存在です。

無私のこころで
守りはぐくんでくれる
存在ですから。

しかし
そうでない親もいる。

PTSD研究家翠雨の日記

学校で教えにくい事ながら
教えなければならない
問題です。
 ―一般の親御さんは気を悪くされるおそれが
  ありますが
  虐待・DV家族の子どもは
  それでは自分が悪いのかと
  悩みを深めます。

さらに言えば
毒になる親も
正気でないわけで
(PTSDでしょう)

その存在を否定するだけでは
何の解決にもならないのです。

課題は山積みですあせる
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PTSD依存症でろれつが回らないとき

PTSDの症状の1つに
依存症があります。

お酒や薬物を
過剰に摂取しますと
ろれつが回らなくなったり
しますね。

ろれつの語源は
京都大原三千院を
川と川(りょせんとりつせん)
呂律(りょりつ)とは
声明の音階です。

PTSD研究家翠雨の日記

僧侶たちは声明を唱えながら
ぐるぐる回ります。
低い声がひとつになり
波のようにうねります。

お能なんかの文化にも
使われてますね。

集合的無意識の
悪しき習慣を     ←精神科医療の常識
払拭するかのような
大きな波を起こしながら
祈っておられます。

どうしてもぬぐいきれない
雑念は声を出したり
歩いたり
歌ったり
身体を動かしたら
少しマシになるかも
しれませんよ目
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