月別アーカイブ: 2010年7月

カンボジア【キリング・ケイブ】PTSDの悲哀

カンボジアの
仏教寺院の奥にあるそうです。

ポル・ポト政権時代
たくさんの人々が
突き落とされ
死亡した場所です。

地元の人は
寺には熱心に通いますが
ここには絶対近づきません。

PTSD研究家翠雨の日記

この寺の僧侶は
最初ここを訪れたとき
悲しみに襲われて倒れてしまったので

過去を忘れて
心の傷を覆うしかないと
悟った
と言います。

地元の人たちも
同じ思いなのでしょう。

ごく一部の人たちが

過去を語るのは
辛いばかりで
自分が得るものはなにもないし
聞く家族だって辛いだけだが

若い人たちが
再び過ちを繰り返さないようにと
語り始めています。

クーデターによる傷跡は
できる人からできる範囲で
ゆっくりゆっくり
癒すしかないようです。

そして
日本にだって
こういう場所あって
こういう人々が
たくさんおられて
PTSDの連鎖が起こっていること
苦しんでおられることを
知らねばならないでしょう。
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スイス列車事故「なぜこんな目に逢わねばならないのか」

スイスのアルプス観光列車
「氷河特急」脱線事故で
死亡した
兵庫県尼崎市の国本安子さん(64)の
長男尚さんは27日
ジュネーブで記者会見し
母親の遺体と対面したことについて
「泣き崩れました。
なぜ
こんな目に遭わなければ
いけないのかと思った」と
述べました。

レールの変形など
物理的原因を知ることも
必須ですが
それぞれの遺族の方々の
心理的課題は
「なぜこんなにつらい目に
逢わねばならないのか」
考えることです。
誰が悪いわけでも
ありません。
そして
常識では解けません。
かといって
考えねば
トラウマ化してしまいます。
このような惨事にあえば
誰もが
哲学者になります。
苦しい作業を見守ることが
大事でしょう。
「考えるな」
「意味なんかない。
偶然だ」
なんて言うのは
悪魔です。

解離事件続出の仙台?!

日本テレビの女性アナウンサー
山本真純さん(34)が
仙台で
自殺したそうです。
仙台市のエリート医師が
解離性遁走し
殺人事件を起こしたばかりです。
非の打ち所のないように見える
男女に何があったのでしょう。
もちろん
ふたりは
お友達ではないでしょう。
9月に
仙台で
日本心理臨床学会大会が
開催されます。
オカルトではないことを
証明しなければなりませんね。

岩波書店から見放された?日本心理臨床学会

秋の学会プログラムが
送られてきました。
和風でなかなかいいデザインです。
PTSD研究家翠雨の日記
東北大学の近くの方々
一部は公開ですから
参加できますよ。
何が公開講演かは
ネットで見ることができます。
『心的外傷からの回復の本質と支援のあり方』
とかのね
PTSD関係もありますよ。
 ―シンポジストを知ってるから
  お奨めじゃないけどね。
  ブログネタにしてください。
  反面教師ってのもありますからね。
  (反面教師しかないじゃないかって?汗
パンフレットは数ヶ月前から
準備されたものだから
うつ病や発達障害なんかが
多いのはしかたないですね。
来月中に
厚生労働省が急に動き出して
新聞なんかで
「うつ病や発達障害はうそだ」とか
バンバン書かれだしたら
発表者あせるでしょうね。  ←妄想入ってる?
発表を取り下げるかな?
本屋さんの協賛
随分減ってます。
今のご時世しかたないところも
あるでしょうが
岩波書店がないのが
気になるなあ。
ドキドキウキウキ!ドキドキ
へんな人の2冊も出したからなぁ。
気づいて早々退散したかな…。

玉に瑕のC.G,ユング

ユングは凄いと思う。
尊敬に値する。
このブログの第一の趣旨である
ユング心理学の欠点というのは
日本のユング派資格取得者と
その人たちにぶら下がる人達の
やり口について言っているわけで
 ―①いい加減なユング理解を
  ②日本文化に翻訳せずおしつける。 
  
ユングが自分のために
あるいはクライエントのためにしたことは
崇高な行為であると考えている。
しかし
たった1つ気になることがある。
ユング派はいいところはマネせず
この点だけをマネたのだ。
 ―親子関係と似ているあせる
だから
もしユングが生きていたとしても
本人には言わないが
ここには書いておきたい。
アフリカで
原住民のお祭りに参加し
不安になって
それをとめさせた
こと
これがいつもこころにひっかかる。
自分の感性を超えていたからだろう。
ユング派は
自分の感性を超えた
自己実現をしようとするPTSDに
脅威を感じ
 ―自分たちは集合的無意識のなかで
  上手に適応してるから。
ユングの前例があるから
(人は窮地に立たされると
簡単に都合のよい前例を思いつく
ようにできている)
安直に転ぶのだ。

職業コンプレックスからのPTSD

【自慢】って
けっこう自己防衛になりますね。
ある人は
過剰防衛してました。
つまりすごい高慢ちき
冷静に考えれば
そこまでする必要はないし
むしろ自分の株を下げてるんですけどね。
親から引き継いだ職業に関する
コンプレックスが
そうさせていたのでした。
どんな職業でも
それなりにコンプレックスがあるわけで
こどもはみな
そこを哲学しながら
こころを鍛えていくものですが
その家の職業は特殊でした。
世の中になくてはならないもので
みながあまりしたがらないことで
裕福な暮らしもできました。
そのかわり
子どもにのしかかる哲学の重みは
半端ではなく
一族にはPTSDが多発しています。
 ―頭髪が全部抜ける
  知的障害からひきこもり
  更年期障害15年以上
  離婚の多さ
  50代の認知症
  パチンコ依存症
  買い物依存症
  …
「職業に貴賎はない」   ←この一言で治癒するなら簡単です
そんな頭ごなしのお説教など
通用しません。
親がどう言い聞かせようが
世間がどう言おうが
自分が納得できる答えをつかむまで
苦しみは続くのです。
防衛は麻薬みたいなものですね。
そう言えば
かの有名なおうちでも
二世代にわたる
このタイプのPTSDで
半ひきこもり中ですよね。

禅風【主人公】への自問自答で【解離】防止

【主人公】という言葉は
もとは
【禅語】らしいです。
  ―知らないだけで
  我々の文化も
  行動も考え方も
  相当禅風です。
唐代末期の
瑞巌寺の師彦和尚は
毎日自分に向かって
「主人公」
「はい」
「目を覚ましているか」
「はい」
「人にだまされるなよ」
「はい」
って
つぶやいていたそうです。
それが
【無門関】に収録されて
長い時間のなかで
【主人公】という言葉だけが
残り
物語の主人格を
【主人公】と呼ぶようになりました。
 ―もともとは
  主語がない(無我)のが   ←能動&受動
  日本の物語でした。
PTSDの人たちも
毎日ブログで自問自答
してますね。
和尚はこれ以外に
説教しなかったらしいですよ。
本当に自問自答ができたら
悟れるってことでしょうね。
それが坐禅だから…
呼びかける人格も
呼びかけられる人格も
意識していたら
少なくとも【解離】防止に
なりますよね。
わからずやの訪問者が来ても
キレて秋葉原に行かないで
そこはぐっと問答を続けるのですよニコニコ

『愛と誠』とPTSD

ヒロイン役の女優さんが
亡くなったそうです。

PTSD研究家翠雨の日記

【至誠】というのが
日本の哲学としては大事だそうです。

愛が誠に至る秘訣でしょうね。

幼い頃
ヒロインの命を救った時
額に大きな傷を負ったばかりでなく
両親や自らの人生さえも
壊された
誠のトラウマが
主人公みたいな
PTSD物語です。

怒りに支配され
暴力の連鎖に巻き込まれ
非業の死を遂げました。
―それで【非暴力】のガンジー家の
  手紙をタイトルにしたのかな?

ヒロインは献身的に接したし
ヒロインを陰から支える岩清水弘は
「君のためなら死ねる」と      ←死ぬ気(象徴的にですが)で!
優等生なのに不良高校に行ったりしたのにね。←常識破り
 ―優等生(常識の守護神)では
 PTSDは救えないんですよネ。
 デタラメ臨床家は昔の優等生ばかりですよ。
 

これだけの
ありえないことのオンパレードをもってしても
怒りに支配された誠のこころは
救えませんでした。

PTSDの雛形みたいなものです。

非行問題を考えるときは
こころして
取り組まねばならないでしょう。

ましてや
トラウマぬきでは
国際級マフィアを
量産してしまうかも…あせる
続きを読む

秋葉原無差別殺傷事件【解離】という名の怒りのスイッチ

加藤智大被告(27)は
「掲示板の書き込みに
抗議するためやった」と
動機を述べました。
動機は
あくまで動機
【解離】のスイッチですね。
原因は
「小さいころに
自宅の2階から落とされかけたり
お風呂に沈められたりした」等と
話し始めたことに
あるでしょう。
生い立ちのなかの
PTSDを起こす原因
トラウマ
弁護側はつきはじめています。
人間は鳥頭ではないので
  ―3歩歩いたら
   記憶が消える
その行動は
おいたちから探らねば
なにもわかりません。

カンボジア【キリング・ケイブ】PTSDの悲哀

カンボジアの
仏教寺院の奥にあるそうです。
ポル・ポト政権時代
たくさんの人々が
突き落とされ
死亡した場所です。
地元の人は
寺には熱心に通いますが
ここには絶対近づきません。
PTSD研究家翠雨の日記
この寺の僧侶は
最初ここを訪れたとき
悲しみに襲われて倒れてしまったので
過去を忘れて
心の傷を覆うしかないと
悟った
と言います。
地元の人たちも
同じ思いなのでしょう。
ごく一部の人たちが
過去を語るのは
辛いばかりで
自分が得るものはなにもないし
聞く家族だって辛いだけだが
若い人たちが
再び過ちを繰り返さないようにと
語り始めています。
クーデターによる傷跡は
できる人からできる範囲で
ゆっくりゆっくり
癒すしかないようです。
そして
日本にだって
こういう場所あって
こういう人々が
たくさんおられて
PTSDの連鎖が起こっていること
苦しんでおられることを
知らねばならないでしょう。