昨年8月
台風に伴う大雨で
18人が死亡した
兵庫県佐用町で
犠牲者を悼む
追悼式が行われました。
避難する途中に流されて
亡くなった人もいて
佐用町の庵逧典章町長は
「想像を絶する被害となり
町の初動が不十分だったことは
町長として
心からおわびしたい」と
述べました。
参列者は
1人一人花を手向け
地元の小学生らは
1万羽を超える折り鶴を
供えました。 ←象徴を否定するユング派って
やはりおかしい!と思いました。
私の身近にも
佐用町出身で
PTSDから
【解離】し
横領事件を起こし
解雇された人がいます。
不況のなか
金策に追われる人が多いので
バッシング一辺倒ですが
(もちろん犯罪です)
その人には
幼少時の赤貧の影があり
この水害が
その影に
拍車をかけたのではないか…
そう想像します。
たかが赤貧
たかが災害と
言う人は多いですが
おなかがすいて
住む家がなくて
文化的生活とは
はるかに遠い世界に
置かれるのです。
哲学者になるか
犯罪者になるか
運命の分かれ道だと思います。
兵庫県佐用町追悼式に思う水害の無意識的意味
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