キューブラー・ロスは
死の受容について
言ったわけですが
心理療法の基本の
【死と再生】においても
このモデルは
矛盾しません。
(人間って結構単純なんです)
死にたいと言いますが
本当に死にたい人はおらず
苦しみをなんとかしたいだけの
ハズです。
つまり
死んで欲しいのは
かたくなな
自我中心性です。
―平たく言えば
現在当たり前だと思っている
自分の常識や感性です。
しかしそんなものが消えたら
自分はどうなるのか?
怖いですネ。
それを【死】と感じるのです。
―死が何か知っている人はいませんが
知っているもので説明しようとします
石頭の自我が死んで
しなやかな自我に生まれ変わるんです。 ←象徴的な【死】
もちろん生きたままで ←即身成仏
そして
そんな大変な
【死と再生】の通過儀礼を前に
やだなぁ
やらないわけにいかないかなぁ
誰かやってくれんかなぁ
ウソだと言って!
…
さまざまな妄念が生まれるのです。
否認あり ←否認の否認とはあわせ鏡ですか…
取り引きあり
可笑しいのは
PTSDの人だけでなく
臨床家も同じことをやってて
笑うところじゃないんですが
学会でのおバカな反応をまた
洗い出してるところなんです
もちろんみなさんに
還元します
キューブラー・ロスモデル ③PTSDの受容?
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