エキゾチックで
美しいけど見るからに
異様なエリです。
―PTSDの女性に
そういう人多いです。
命がけで問題にあたってますからね。
美しさが違います。
いじめられて
絶望のふちにいる少年には
女神みたいに見えます。 ←普遍的な救い主イメージ(異界から来る)
思わず勇気が出て
「血の契りをしよう」としたら
(バンパイアーですから)
地面に落ちた血に
獣のようにむしゃぶりつきます。
少しずつ
吸血鬼であることに気がつきながら
いくつもの血の洗礼をくぐり抜け
最後のテストが
やってきます。
―信頼は一度で起こりません。
恐る恐る(驚いて逃げて欲しくないから)
入れ子のようにテストがあります。
(境界性人格障害は人を試すって言われます) ←境界とは異界だった…
何度も繰り返される
「私は女の子じゃないから」
「私が女の子じゃなくても好きになってくれる?」という
エリのセリフの意味が
明らかになります。
一瞬だけ陰部を見せるシーンが
あるのですが
国内公開版では
ぼかされていますが ←見えないことで考えさせる?
性器を切り取られたあと
(エリは男の子)だそうです。
―原作「モールス」でも
そういう設定
アフリカの一部では
もう少しマイルドなのが
男児女児ともにまだ常識です。
長老が儀式的に行います。
原題は「Let the Right One In」
吸血鬼は招かれない限り
人の部屋に入ってはいけないという
法則のことですが
―PTSDを放置すると
吸血鬼(加害者)になります。
邦題の「200歳の少女」は
そう断罪して
切り捨ててしまうのではなく
幼児性虐待の子どもの問題を
歴史的に捉え
なんとかしようとする
無意識の悲願が
顔をだしたものではないかな?と
感じました。
宗教・哲学・健康・慣例
虐待・バンパイアー・集合的無意識(歴史的身体)
PTSD・ラポール・常識・ヒステリー
…
いろいろな言葉の意味を
深く知る人にだけ
(星座の共時性のように)
聴こえる(野性の思考で)
信号があるのです。
『ぼくのエリ 200歳の少女』とは幼児性虐待男児の叫び
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