月別アーカイブ: 2010年9月

虐待予防授業としての【赤ちゃん抱っこ体験】

朝日新聞で
長野の定時制高校の先生が書いている。

ある男の子は
中学時代を
反抗一色で過ごして
しかたなく
定時制にきた。

彼が反抗するのには
ちゃんとした理由があり

国立大卒業の父親から
そんなできの悪いのは
オレの子ではないと
否定されつづけてきたからだ。  ←トラウマ

赤ちゃんを抱っこするという
特別授業があったが

彼は赤ん坊は嫌いだと
拒否した。

目の前にいるのは
他人の赤ん坊であることを
彼は知っています。

しかし
こころの深層では
内なる赤ちゃんとして
自分の存在と二重写しに

感じるのが人間です。

父親に抱っこされた記憶もなく
否定され続けてきた自分(赤ん坊)を
他のクラスメートのように
笑顔で抱っこすることは
できないのです。

悪気があって
突っ張っているのではなく
怖いのです。
(自分がどうなってしまうのか)

でも先生やクラスメートに
励まされ
恐る恐る抱っこしてみて
彼の中の何かが変わり始めました。

家庭の愛情に恵まれない子は
結婚願望ゼロか200パーセントか ←適当な数字です…
どちらかになります。

10代で【できちゃった結婚】して
育児の知識なんかなく
諸悪の根源である
トラウマが出てきたら  ←赤ん坊はきっかけになりやすい
サイアクです。

そうなるまえに
こんな授業をしてほしいなぁと
思います。

トラウマに気づいた場合
どこかにつなぐことができるなら
理想的なのですが…むっ
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芥川龍之介『蜘蛛の糸』 ~PTSD集団療法の難しさ

PTSD研究家翠雨の日記

奈良県立医大の教授が
蜘蛛の糸を1万本束ねた
バイオリンの弦をつくることに
成功しました。

芸術的で夢のある
科学者ですねドキドキ

PTSD研究家翠雨の日記

ガット(羊の腸)弦より
やわらかい音になりますが
やはり強度は
3分の2

長くて均一な糸が欲しいので
蜘蛛さんが糸を切らないように
さらなる工夫をするそうです。

PTSD研究家翠雨の日記

蜘蛛の糸って
思いのほか強く
思いのほか弱いのですね。

PTSD克服し始めると
人が後についてきますよね。

治療の秘儀は
独占しちゃいけませんからね。

でもその糸は繊細だから
そこで大騒ぎしちゃ
切れてしまうのですネ。
 ―謙虚に静かに学ぶものです。
  土足でズカズカはいけません。
  自慢や上から目線も禁止です。

ドストエフスキーの
『カラマーゾフの兄弟』でも
ひどい解離性同一性障害の女性が
『一本のねぎ』という
似たようなお話を語ってます。

そういう境地にいるから
ソラ(何も見ない)で
治療の難しさを
語れるのです。
 ―作者はドストエフスキーだから
 彼が知っていたということか…?

つらいときこそ
科学と芸術と夢が
融合した世界で
優雅さを失わないように
しなければなりません。
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解離性障害増加で危険度倍増の車社会

相次ぐ飲酒運転事故
警官にも多発しています。

しかも逃げてしまうのですから
【解離】人格ですって
言いながら歩いてるようなものです。

車のこと全然わからないのですが
【H】ってホンダですか?

この映像から
無差別殺人事件を連想しました。
 ―事故車をリアルに映したのは
  無意識的な啓蒙意識の現われ?

車って危ないですよ。
狂気(解離)とセットで
殺人凶器になります。

車には罪はないのですが…ショック!
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『ラストサムライ』  ~アルコール依存症

トム・クルーズは
インディアン虐殺のトラウマを
アルコールでなんとか黙らせながら
戦争で活躍した英雄を
必死で演じようとします。
しかし
客席にいるスタッフの
カンペを見ながら
何とかしゃべりだすものの
冗談にならない冗談を
口にするようになっては
もはや
マニックディフェンスの破綻ですし
客席に向かって
(命中させないにしても)
銃を撃つなどの奇行を起こし
ふらふらと退場する始末です。
大事な商談の席に呼ばれても
病的な空笑に近い  ←【解離】でキレている
からわらいを見せます。
もはや
PTSDは無視できない
レヴェルに達しています。

『ラストサムライ』 ~切腹にみられる2つのこころ

外国人の視線で切り取ると
何かと
わかりやすくなりますね。
切腹についても
気づきがありました。
自分で割腹した瞬間に
他人に首を切られます。
どちらか一方では
だめなんですね。
頭で考え
おなかで考えますからね。
自我とセルフ(真の自己)
でしょうか。
『十牛図』の
第八図
人牛倶忘の
無ですね。
坐禅でその境地になると
自我強化されますが
その根っこである2つを
断ってしまう発想でしょうね。
魂魄とも言いますしね。

『ラストサムライ』 ~集合的無意識と禅定

冒頭で
『古事記』が引用された後
武士が瞑想してる
シーンが流れ出します。
過去の記憶が
イメージとして
脳裏に浮かび
恐ろしい
トラが出てきたかと思うと
武士は目をカッ!と見開いて
禅定から目覚めます。
なんと端的に
瞑想の意味を
示しているのでしょうか?!
【父母未生以前の面目】とか
【脚下照顧】なんて
言いますが、
瞑想の目的は
集合的無意識の観察と
そこから
本当の意味で開放され
自由になることです。
個人的無意識(常識・宗教・煩悩)
家族的無意識(常識・宗教・煩悩)
武士としての無意識(常識・宗教・煩悩)
人間としての無意識(常識・宗教・煩悩)

ずっと降りて行きますと
地球のマグマのような
恐ろしくもパワフルな
エネルギーに遭遇し    ←トラ
それを見方につけて
元気になって
目覚めます。
こうして無になれば
武術も上達します。
人種が違っても
仲良くなれます。
つまりは非暴力の哲学に
繋がっているのです。

『ラストサムライ』 ~自己実現モデルとしての『古事記』

武士道という
エスニックな文化を
西洋人が理解しようとする
物語ですが
その際
物語のはじまりに
『古事記』が
引用されてますね。
「古い神が
剣を海に漬け
4つのしずくをたらして
日本列島ができた…」と。   ←実際はつの島
少しあとになって
海を守れと言われた
スサノヲが
マタノヲロチから    
草薙の太刀を
とりだしましたね。
 ―神話的思考では
 島とヲロチは同格で
 どちらも人格を持っています。
 (ヲロチは尾の霊力)
古代の神がいる海は
集合的無意識です。
昔の切り口で
創られたものの尻尾が
たくさんの人を苦しめることが
あるんです。
そういうのは
知恵と勇気で
退治しなければなりません。
そうすると
同時に宝物(個性)が
手に入るのです。
日本人と西洋人では
自己実現モデルが違うと
知っての表現じゃないかな?

87歳父親を59歳息子が撲殺のPTSD事件

87歳の男性宅から
「父親が息をしていない」と
119番通報があり
病院に搬送されましたが
まもなく死亡しました。
同居している
新聞配達アルバイトの長男
59歳が
「父にシャワーを浴びさせたが
言うことを聞かないので
腹部を殴った」と
供述しています。
介護しているとき
あまりなことを言われ
キレることは
あるでしょう。
しかし
死んでしまうほど
(老人なのですから
この程度でも危険だと
いうことは
わかるハズです)
殴るには
相当な
【解離】か
【攻撃性】が必要です。
介護疲れによって
キレたのか
キレさせるほどの
認知症的な
PTSDだったのか
親子間に
トラウマティックな
歴史があるのか

そこまではわかりませんが
いずれにしても
問題はPTSDです。

「エライコッチャ」を楽しむのがお祭り?

宮崎『えれこっちゃまつり』は
7月31日~8月1日に開催予定
でしたが
口蹄疫の影響で延期され
昨日
祭りを心待ちにしていた
多くの観客でにぎわいました。
$PTSD研究家翠雨の日記 
日本人は
行事が好きです。
これがないと
何も始まらないのです。
もちろん
五行の行事です。
PTSD研究家翠雨の日記
停滞は死です。
常に動いて
進化している自然に
こころもついていかねば
なりません。
えれこっちゃは
エライこっちゃ!
ですかね。
豪いって書くみたいですよ。
PTSD研究家翠雨の日記
陰陽混合は
時に
エライことになりますが
豪胆にゆきましょう!   
(自己実現のチャンスですから)

PTSD治療に進化も進歩も不要

世界自然遺産の
鹿児島県
屋久島に自生する
推定樹齢2千年の屋久杉が
PTSD研究家翠雨の日記
アンネ・フランクが
眺めていた木が
PTSD研究家翠雨の日記
倒れました。 ←これは数ヶ月前
「どこでもいい
人間の歴史から任意の千年、二千年を取り去っても
人間の本性に関する
私たちの知識は減りもせず
増えもしない。

…木の像が木を芽生えさせたように
作品だけが
時間経過のなかで
人間たちのあいだに
何かがたしかに生起したことの
証となってくれるのである」
着物を着てたのが
ジーンズをはくように
なっただけです。
しかし
環境がヒドイ…     ←危機意識(動物的カン)も問題だが…
PTSDを抱えて生きるには
平成日本はサイアクなのかも   ←デマがひどい…
しれません。
しかし
根っこ(存在のルーツである無意識)は
何もかわらないと
エレンベルガーが言っています。
まどわされず
シンプルな基本を
大事に
できることを続けましょう。