「修験道の信仰の山を
昔の人がどんな思いで
登ったのか考えながら
大変楽しく登らせてもらいました」
―西洋の登山家と違うところです。
今どきのヘンな日本語でもないです。
山は登らせてもらうものなのです。
そう笑顔で語られたそうです。
古くから霊峰とされ
日本武尊が
山の神との戦いに敗れ
傷を負った地とされます。 ←祖先のトラウマを想う
―山は鬼門(変化宮)
命がけで登るものでした。
古代には
三関のひとつである
不破関が置かれていました。
―普通の人はここであきらめる。
英雄は看破する。
愛子さまも雅子さまも
なんか元気を取り戻されつつ
ありますね。
―治療法変えたんでしょう。
窮すれば通じると
陰陽五行説では言います。
究極の陰のなかに陽が
あったのですネ。
ポニョのように
さらに看破しつづけることが ←ヒットしても家出宣言!
大事です。
それはいにしえの
修験道の人がしたことと ←道ですからね終わりはないのです。
少しも変わらないのだと
いうことでしょう。
さすが日本の象徴
こころのケアの皇室には
シンプルかつ究極の
考え方が当たり前のように
存在しています。
皇太子さまの修験道登山その臨床心理学的意味
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