裁判員はPTSDを学び永山基準を塗り替える哲学者

石巻DV3人殺傷事件の裁判で
裁判員の方々は
ため息です。
プロの判断も揺れてるのですからね。
いつも講義で
PTSDになると
哲学者でなくても
子どもであっても
哲学しなければ
生きてゆけなくなると
豪語してきましたが
今年からは
一般市民も同様になりました。
残忍なことをした少年ですが
「僕も被害者の立場なら
犯人に極刑を求めたと思う」と述べ
検察側の論告にも
背筋をのばしたまま
じっと聴き入っていたそうです。
 ―こころが弱いとできませんよ。
検察側は
「永山基準」をたてにとりますが
弁護側が主張するとおり
それは
職業裁判官が作った基準であり ←PTSD流行以前
これからは
市民の目で見た基準を設けていく必要が  ←PTSD流行以後
あると
私も考えます。
永山基準の塗り替えは
永山事件の
『無知の涙』を
PTSDとして
再考するところから
始まります。
$PTSD研究家翠雨の日記

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