月別アーカイブ: 2010年11月

発達障害専門家や親は代理ミュンヒハウゼン症候群かも?

身近にいる健康な人間を
病気にしたてて

世話することで

世間から注目される。

「やっぱり親の愛って
ありがたいよねドキドキ

こんなこんがらがった
魔境におかれたら

混乱して
ストレスを生み
放置させられて    ←ストレスケア禁止なので
PTSDになりますよ。

厚生労働省は
平成20年度の虐待死(心中は除く)
67人中3人に
ミュンヒハウゼン症候群を
確認しています。

厚生労働省さん!
もっとありますよニコニコ
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三宅雪子議員がミュンヒハウゼン症候群代表になってる!

ウィキぺディアみてびっくり叫び

さっそく
タイトルのようになってます。

実在した
「ほら吹き男爵」の名前が   
そのまま病名になったもので

自分に周囲の関心を引き寄せるために
虚偽の話をしたり
自らの体を傷付けたり
病気を装ったりする症例のことです。 
 ―三宅さんは
  ここまでじゃないけどね。

【演技性人格障害】
(DSM-Ⅳ-TR)という視点もありますが

演技性=ヒステリーですし     

「人格障害」なんて
小耳に挟んだら
必要以上にそれらしく
(本物より本物らしく)    ←誇張
暴れるようになってしまうので

ここは診断名を使わないほうが
無難なのです。

もしかしたら
アスペルガー増加も
そういうことかな。

内容はどうでもよく
注目されるならそれでよかった…ドクロ

 ―心理学業界での
  1960年代の診断有害説は
  ここからきてます。

  扱うのはPTSDだけだから
  わざわざPTSDっていうこともなかったし…

平成になって
事情がかわり
そうは言っておれなくなりましたがね。

表向きPTSD否認してても
水面下では
実態把握が進行してる証です。
 
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阪大の臨床心理学終わってる…

【発達障害】の書籍紹介が
激減しはじめた
朝日新聞ですが

大学出版部協会の広告を見ると
12の大学の出版部が
それぞれ数冊紹介していて

阪大は
こんなの今の今になっても
出してます。

$PTSD研究家翠雨の日記

すでに出してしまったものは  ←幾多のうつ病や発達障害本
消せないですから

できることは
いかに新しく
(今度は)正しいことを言うかです。
忘れっぽい国民相手ですから
過去の傷は消せます。

小賢しい学者は
そこに回ってますよ。

それにも乗り遅れるなんてね。

旧帝大もつぶれる時代到来か…
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PTSD爆発的増加の時代のいのちの電話

年間3万もの
尊い命が消えゆく時代です。

昔からあった
いのちの電話は
最後の命綱の1つです。

朝日新聞が本日取り上げた
「大阪自殺防止センター」だけでも

年間一万件の相談が
あるそうです。

しかし
相談員が減り
存続が危ぶまれています。

社会的な意義を理解する人に
参加してほしいと
呼びかけていますが

PTSD【否認】社会ですからね。

それがむつかしいのです。

研修も自費ですし
 ―慈悲のまちがいではないかと…

仕事はボランティアです。
 ―経済事情が厳しい昨今
  リストラなどで業務加重のなか
  掛け持ちするのは過酷ですし
  余裕の有る主婦なんて希少価値でしょう。

臨床心理士の資格とったセンセイは
スクールカウンセラーみたいな
おいしい仕事しか
お嫌でしょうし…
 ―そもそもその辺から
  資格ができたのですから。

どちらが社会の役に立ってるかは
火を見るよりあきらかですが

今の日本で
ボランティアは気の毒です。

限界への挑戦というところに
いのちがあるのでしょうが…あせる
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ヒロシマの「洋子」祈りのバレエ

森下洋子さんです。

$PTSD研究家翠雨の日記

日本人の繊細さを加味した
バレエらしいバレエを踊る方です。

枕元でお経を読まれるほど

ひどく被爆した
おばあさまの生きざまを
まのあたりにしながら

原爆ドーム周辺で
少女時代をお過ごしです。

美しいものを愛し
創造しようとする魂が
戦争のようなひどいこともする。

$PTSD研究家翠雨の日記

フロイトはそのネガティブな方に
絶望しながら死んでゆきましたが

森下さんは

長年にわたる
厳しい稽古を重ねながら

全身全霊で考え続け

そこでつかんだ

二元論を超えた
平和の哲学を
表現し続けて
おられるのです。

海外では
「ヒロシマの洋子」と紹介されるそうです。

みんなヒロシマの悲劇を知っていますし
人間として
ヒロシマの無念を理解されるそうです。
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広島で校長の首絞め足蹴りにしたPTSD解離教諭

広島県警安佐北署は
3日
校長(59)の首を絞めたり
足げりにしたりして
全治一週間の
けがを負わせたとして叫び
広島県立広島特別支援学校の  ←被爆したかな?
教諭兼指導助手(52)を
逮捕しました。
勤務指導に従わないため
校長室に呼び出し
職務に専念するよう
注意していたところ
勤務上の不満から
逆ギレしたようです。
センセイへの指導が
必要になってきましたね。
正気ではないので
PTSD学習したうえで
対応してください。

絵に描いた一休さん驚く?

京都にある
大徳寺塔頭
   (たっちゅう)
真珠庵の一休さんの肖像画に
穴が開いているのが
見つかりました叫び
侵入したアライグマが
額の上で
柿を食べようとしていたようですが
$PTSD研究家翠雨の日記
和尚さんは
アライグマには罪がないと
おっしゃってます。
一休さんといえば
漫画の頓知が有名ですネ。
屏風からトラを出せという
かのおもしろい話は
【心不可得】という公案を
おもしろおかしくしたものです。
正法眼蔵では『画餅』に
道元の解釈があります。
 ―普通の解釈よりヌケてます!  ←ほめ言葉ですドキドキ
絵に描いた餅は食えぬ?
いえいえ
心理療法では
絵を描くだけで
空虚なこころも豊かになります。
道元も
そこに
父母未生の面目ありと ←無意識のリセットの秘策
言ってます。
$PTSD研究家翠雨の日記
絵に描いた一休さんと
アライグマの会話
充分成り立ちます。
私たちのこころのなかで
ですが。

三宅雪子議員転落に【因縁のアリバイ証言】とはこれいかに?

自宅マンション4階から
地面に転落し
腰の骨を折る
全治約1カ月の重傷を負い
入院した
お騒がせ三宅雪子衆院議員(45)ですが
今年5月の内閣委員会で
濡れ衣をきせられそうになった
自民党の甘利明元経産相(61)に
夕刊フジが
わざわざ取材…ニコニコ
甘利さんは
「私はその時間
赤坂議員宿舎で熟睡していたので  ←疑われトラウマ
今、この件を知って驚いた。
大変心配しているし
お大事にして欲しい」と
答えたそうです。
タイトルの見出しは
グーグルのもの
マスコミは総出で
遊んでるとも言えますが
どこか
PTSD学習し始めてるんですよ。
バラバラに考えない
これ大事です。

京都大学こころの未来研究センターでは自閉症は不治の病

2009・2・28に
国立京都国際会館で
ユング派分析家で発達障害研究家でもある叫び
河合俊雄が
以下のように説明しています。
(最近、箱庭の学会誌に掲載された)
自閉症児に対しては
1970年以前は
(心理的問題と考えられていたので)
プレイセラピー中心の
対応が普通だったけれど
$PTSD研究家翠雨の日記
その後
器質障害とか認知的問題と
捉える人がだんだん出てきて
今では(2009)
脳科学の発展により
中枢神経系の障害として
見る立場が強くなって
心理療法はそこからくる
二次障害にしか     
(発達障害で対人関係がうまくいかない
 イライラとか不眠とか)  
関われないと
世間では思われていますが
京都大学こころの未来研究センターでも
それは同じで
教育・訓練が
主流になっているようで
お母さん方は
子どもが障害児であるという
ショック
自分の育て方のせいではなかったという
安心感の間で
ゆれているそうです。
PTSD研究家翠雨の日記
陰陽二元論を超えたところに
答えがあると
気づいた人が
治ってゆくのでしょうね。
やはり解決には
【一太極ニ陰陽】の元型が
動き出す必要があるようです。
ユング派なら
元型論を駆使して
脳科学者の同僚を論破し
黙らせるべきですニコニコ
講演から随分時間が経過しましたが
センターのみなさんは
どうお過ごしでしょうか?
ちょっと慌ててますか?

『夜間飛行』と『星の王子さま』と『紅の豚』

積み上げた本が
一部崩れてきて
$PTSD研究家翠雨の日記
飛びだしました。
 
『これを書け!』ということでしょうか?
今では使えない
50フランです。
作者の肖像と星の王子さまが
印刷されてます。
北アフリカへ行くとき
フランス経由しました。
飛行機が
アフリカの大地に着陸するとですね。
拍手の嵐になるんですよ。
なんか
当たり前のように思ってることが
傲慢な感じに思えました。
他の地域で飛行機に乗ったとき
コレがない寂しさを
実は独り味わっていますニコニコ
『星の王子さま』が有名ですが
『夜間飛行』(1931年)
『人間の土地』(1939年)も
ベストセラーですよ。
作者は
北アフリカ戦に参加してるんですね。
夜間飛行をするようになったのは  ←危険
(郵便を運ぶ)
こころの作業ではなかったかと
ふと気づきました。
地中海あたりで
行方不明になったのですが
彼の飛行機を撃ったかもという
人が現れました。
愛読者だったそうで
「知ってたら撃たなかった」と
肩を落としています。
『紅の豚』で
1920年代の飛行艇乗りを
描いた宮崎駿も
サン=テグジュペリの愛読者です。
戦争体験は
文学に昇華しながら
異熟しつづけています。