シラフで転落する人も
多いです。
【解離】しきれないから
お酒を呑んでたと
考えた方が
わかりやすいかも
しれませんね。
―あるいは
「飲んでたならしかたないね」と
思ってもらうためかも。
柵よりは
PTSD対策しないと
(20年前高架により
線路事故が減ったなら)
20年後
新たに妙な
多発的事故の流行を
みることになるだけです。
月別アーカイブ: 2011年1月
『ばかもの』はPTSD性アルコール依存症からの【個性化の過程】
二人とも
PTSDみたいですよ。
―増えてるということは
PTSD同士のトラブルも
多いということです。
大学生が
手痛い失恋をし
―失恋はPTSDの原因になります
就職して
新たに恋をしても
アルコール依存症になってしまうのです。
―こころの隙がうまらなくてと
書いてあります。
トラウマですね
PTSDで
アルコール依存症になると
ハッキリ教えてます。
一昔まえの
依存症イメージと違います。
―なんかどうしようもない
浮浪者おじさんイメージでしたね。
おじさんも実は
PTSDの若者だったのですが…
彼を手ひどくふった
強烈な個性の女性も
どうやらPTSDのようです。
唐突に人を傷つけましたからね。
―ドラキュラにかまれると
ドラキュラになるのです。
そして
決して幸福ではないようです。
自力で気づき
自力で回復してゆく
過程まで
描かれてるようですから
PTSDの教科書
初級編として
いいかもしれませんね
PTSD未治療で操作的な母親と解離性健忘の娘
過食傾向のお母さん
―自分がコントロールすることを
学ぶべきなのに
他罰的に
自分を守っています。
自分を変えるのではなく
フツーに生きている他人を
操作しようとするのは
PTSDの負の連鎖に入っています
(ドラキュラに咬まれると
ドラキュラになる)
指摘されても
怒りしか出てこないのは
重症ですね。
ののちゃん
―本当に食べなかったのかな?
忘れっぽいのかな?
お母さんの問題を
目の当たりにするのは
つらいから
即座に忘れるクセが
日々【条件づけ】られたかな?
来年もおばあさんは
同じこと言われるのかな?
【脱条件づけ】にあたって
トラウマを
なんとかする方法は
新聞の他のページに
このごろ
いろいろ書かれています
伴侶の死のPTSD予防
朝日新聞の
PTSD学習シリーズ
本日は
【伴侶の死を軽んじてはいけない】
―本人は軽んじませんが
周囲が忘れがちですね。
問診され、重視されることも
少なくなった盲点です
トラウマはフツーの
人生や生活にあることを
学ぶときです。
生老病死は
避けられませんが
―暴飲暴食による病
無知による薬害は
避けられます。
死別は
トラウマになる可能性が
ありますね。
そうならないように
お葬式があるのですが
意味が形骸化しているのかも
しれません。
伴侶を亡くした人たちの
グループが紹介されています。
「悲しみは決して消えないが
分かち合う友がいれば
少しだけ
こころが軽くなる」と
結ばれています。
この少しが大きいんですよね。
アラスカ先住民のPTSD性依存症のこころのケア
PTSD解離時代の学生コンパは死の危険
昔からありましたが
―未成年で飲酒はいけないのですが
不問にされてました。
お酒は二十歳からというのは
ちょっと特殊な文化なのです。
中国では子どもが
酔っ払ってたりします。
毎晩じゃないですよ
日本でも
お屠蘇とかもあるし
実は微妙な扱いで
下手すると野暮ですから
ややこしい。
でも今は
解離人格が増えてますから
ここは法令順守したほうが
よいようです。
―最近
京都の警察学校でも
ありましたね。
つまんないですがね。
命が大事ですから。
★集団ヒステリーの場と化し
―妙な高揚感で一帯感が生まれ
(普段はバラバラの孤独感ですから)
鬱屈した現状を打破できそうな
勘違いパワーが発生するのです。
下の図で言うなら
中心力という地球のマグマと
一体化してパワフルになるような。
★ヒステリー人格
(PTSD)の学生が
みんなに応えようとします。
★無我にして
★何か言わせようという
古来の巫女の儀式の名残です。
内的現実は
すごいことになってますが
外的現実は
救急車で運ばれるか
先輩なぐったらしくて
(無意識にある
リセットのメカニズムによります)
翌日真っ青になるとか
そういう結末です。
PTSD解離の時代にブレーキなし自転車流行中
PTSDの時代だからこそ絵は言葉より雄弁
PTSD克服のユングの一生は自己実現の物語
『借りぐらしのアリエッティ』父母の名も陰陽五行説
お父さんはポッド
お母さんはホミリー
やはり【ポ】とか【ホ】なんです。
『古事記』の
スサノヲの父母は
イザナキと
イザナミですね。
則夫くんと
則子さんみたいで
不思議でしょ。
波と凪は
陰陽ですね。
アイヌ語で
ポ=子どもでしたね。
かつて子どもだった ←英語の ―ed
お父さんと
―借りで失敗したとき
自分も昔そういう
勘違いをたくさんしながら
ここまできたというような視点で
見守ってた。
子どもを見る
お母さんかな?とか
―アリエッティを育てながら
(創造的退行)
自分も
本物の海を見たいと
(グラン・マンマーレに近づく)
あこがれている。
アマテラスの鏡も
(本当の自分を観る)
ありますしね。
いろいろ連想しているところです