他力の親鸞
自力の道元
ですね。
道元は
菩提心を
―個性化しようとするこころ
自己実現しようとするこころ
変わろうとするこころ
起こせ!と言います。
それだけでよいと。
それが自力ですネ。
―人に起こしてもらうのでは
ないのです
親鸞は
善人でも救われるのだから
悪人はもっと救われるはずだと言います。
これは都合よく解釈されると
とんでもないことに
なりますが
―実際
恐ろしく勘違いが多い
そもそも
悪人に見える人は
集合的無意識の
一般にはまだみえない悪習から
抜けようとする
途中段階だったりすることを
言っているのです。
―PTSDの人がそうですね。
無意識のうちに気づかされて
混乱しているのです。
善人でもないし
悪人でもない
途中の段階です。
(この中途半端さに
耐えられないしんどさがあります。
どっちかにしてくれと暴れます)
そして
他力というのは
100%の依存ではなく
100%の自力の果てに
沸いてくるものです。
だから辛くても
前を向いて
考え続けなければならないのです。
要するに
言っていることは
同じです。
身もふたもない話で
すみません
『親鸞と道元』PTSD克服における他力と自力
コメントを残す