出版時のインタビューで
自分がしたことについて
★なぜ悪かったか
★どこで間違えたか
自分自身の中で
逃げずにしっかり認めたから
同世代の女性たちに
心も体も大事にしてほしくて
―「おまえが言うか」という
意見を覚悟で
書いたそうです。
―立派です。
インタビュアーが
「抵抗はなかったか」と ←精神分析につきもの
聞きますと
正直に綴ろうとすると
見せたくない自分も
さらさないとだめで
都合のいい部分だけじゃなくて
自分を全部出さないとダメだから
隠すことなく
すべてをさらけ出すことで
結果的には自分が
少しでも強くなれると思うし
そうでないと
先に進めないからと
気丈に答えています。
―立派です。
しかし
この気丈さは
【否認】にバックアップされたもの
だったのでは
ないかと思います。
本当に
さらけ出すことに
成功していたのなら
現実のストリッパーになる必要は ←行動化
ないでしょう。
―世間のストリッパーは
リスカのような
【解離】作用を
この職業に認めています。
いじめから不登校になった
女の子から聞きました。
(すごく共感してました)
また
さらけ出す一方で
内容の吟味がないのは危険です。
例えば
薬物に手を出したのは
当時の交際相手から
時にはDVを受けながら
勧められたわけですが
ならば
行動療法的な
【条件づけ】が
脳裏に刻印されています。
その恐ろしさを知り
条件付け解除して
治癒した姿を見せることが
世の女性のためになると
思います。
―心理学なしに
PTSDを克服するのは
至難の業ですよ
短期間での
出版には
無理があったように思います。
―ゴーストライターの疑惑も
ないではないですしね。
結局
『婦人公論』の柳美里らと
―薬づけのこの人
生きてる?
子どもさんのPTSDも
心配です。
あんまり変わらないってことかな
―PTSDの否認は個人の自由ですよ。
大いに結構!
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