無条件に暴力を赦すのは真の聖人ではない

許すには
全容を知らねばなりません。
真実が明らかになって
初めて
誰が加害者で
誰が被害者か
見えてきます。
 ―冤罪があるように
 これは案外見えにくいものです。
 自分だって
 加害者扱いされた
  ―学校や家での不適応で
   よい子でないとみなされた
 経験を思い出してください。
一番最初に
「こいつが悪い」と
思ったものや人間を
後生思い続けるのは    ←心中
生後直後に見た動くものを
親だと勘違いして
追い回す
カモやアヒルと
知的レヴェルが同じです。
 ―健康な知性を与えられて
 生まれてきたのに
 残念なことです。
悪しき
信仰の宗教みたいなものです。
 ―真の宗教は
 実践による成長を促します。
真実が明らかになれば
$PTSD研究家翠雨の日記
善悪を超えて
許せるようになるのかも
しれません。
赦すとか赦さないとか
自分が決めることではないと
理解できるかもしれません。
そのときは
トラウマが癒えているはずです。
トラウマが
癒えていないのに
赦せるはずがありません。
自然な怒りの範囲で
許せないと
 ―怒りが怒りを生んで
 一体なんで怒ってるのか
 ワケがわからなくなる魔境はドクロ
 避けた方が懸命です。
思うのが普通でしょう。
それを他人が
許しなさいとか
こだわってはいけないとか
怒りすぎだとか
言うのは
相当ヘンな話だと思います。

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