82歳の女性が
ポロリとはがれた
座りダコに
感慨を感じておられました。
結婚して以来
畳の上で正座し続けてきたので
できたものです。
病院で
若い看護婦さんに
「どうしたんですか!」と
言われ
逆に驚いたことも
あったそうです。
―お茶のセンセイでも ←これも希少価値
そんな大きな座りダコは
できませんから
老人イジメと心配されたのかも
しれません。
昔は
人前で足を崩すことは
礼儀に反したのですね。
―夫は目上で
妻は禁治産者あつかい
今でも「主人に相談します」と
慣習で言いますね。
(男女平等とか主張しながらね)
とはいっても
正座はつらいですから
ふつうは適当にしていたと
思われますが
こういう律儀な
人たちは
夫が亡くなって
独り暮らしをしていても
正座をしていたようです。
―【条件づけ】ですね。
文化や習慣のなかにも
DVが潜んでいます。
座りダコがとれた
驚きやうれしさに
「夫の笑顔が重なった」そうですから
無意識の中で
和解できたのでしょう。
月別アーカイブ: 2011年2月
薬害性PTSD難民
【がん難民】が
増えているそうです。
★納得のいく治療法を選べなかったり
★医師の説明が不満だったり
★治療費が高額だったり
―誰のせいかなんて
問題を超えた
現実がみえてきます。
PTSDと同じですネ。
―昔は
①自分で考え抜く過程を
支えるものが普通にあり
―哲学・宗教・文学など
小説は心理事例研究です。
②心理療法が
もう少しましな程度に
機能していました。
精神科依存薬という
麻薬が流行しだしてから
―昔は
普通の人でも
薬への懐疑論や
警戒心がありました。
世の中が
狂い始めたのです。
麻薬中毒のひとに
「あなたのこころの声を
聞きましょう」と言っても
返ってくるのは
「クスリくれー!!」
―とてもとても
「あなたはそのままでいい」
なんて言えませんから
クスリをくれる人が善人で
クスリをくれない人は悪人
やさしい人が善人で
厳しいことをいうのは悪人
そういう二元論から
開放させて
やっと
昔の心理療法が成り立ちます。
そして
がん告知された人も
PTSD予備軍ですからね。
―キューブラー・ロスの古典が
今、見直されています。
クスリがもらえないのは
死の宣告に
響きますから
まずは
否認が起ります。
「私はPTSDではありません」
気づかないと
抜け出しにくい
構造がありますから
まずは知的に意味を
理解することが大事なのです
未治療PTSD警官が解離して盗んだためにすべてを失う
新潟で
21歳の巡査が
官舎の同僚の部屋に侵入し
現金約10万円を盗んで
逮捕されました。
…
ちゃんとまじめに
仕事をしていて
お金がないわけでは
ありません。
お金がないとしても
法令順守が基本です。
その末端の番人である
おまわりさんが
おなじく一生懸命
仕事をしている
仲間のお金をとるなど
あっては
ならないことです。
…
そういうことは
重々知っているハズです。
過重なストレスがあり ←トラウマ
【解離】して
忘れてしまったのです。
PTSDです。
わかっておれば
防げた悲劇です。
★自分がPTSDだから
同じ事をしたらどうしようと
怯えるのはおろかなことです。
★気になるから
言うなというのは
暴言です。
―インフルエンザが流行しているなら
伝えるべきであり
警戒し
予防に努めるのも
国民の義務でしょう。
PTSD性解離犯罪が
増加していることを
認めましょう
「悪魔で私見ですが」とゴリ押ししようとするモンスターPTSD
言い間違いや
繰り返される失敗は
そこに
【抑圧】があるからと
フロイトは言いましたが…
ある古株の
未治療PTSDは
「あくまでも
私見なんですけど…」と書くべきところ
いつも
「悪魔で私見やけどォ~
~ちゃうの?」と
抗議文書を作成してました。
―フロイトの時代にはなかった
パソコンに表現される
新しいタイプの錯誤
多重人格ですからね。
★悪魔みたいな人格
★気弱な人格
★破壊者
★交渉人
いろいろな人格が
せめぎあっています。
― 一日中悪魔だったら
自分も疲れますから
めちゃくちゃ言ってるようで
潜在的には
『これは世間では通用しない』
『自分は悪魔か?』
わかっているのです。
【飽くまで】おろかさを繰り返しながら
気づきが起こり
【明くまで】
―明らかになる。
タコツボ思考に穴が開き
外界に開ける。
(要するに聞く耳をもつ)
この表現は続くのでしょう。
本来の意味も
「どこまで追及したって
一般論にはならない
徹底したわたしの持論でしかない意見」
なのです。
学校や福祉に
出没するモンスターは
そこを納得するまでモンスターなのです。
言葉って面白い
海老蔵さん&麻央さんのお子さんをPTSDにしないために
市川海老蔵さん(33)の妻
フリーキャスターの
小林麻央さん(28)は
報道機関に
「このたび市川海老蔵さんとの間に
新しい命を授かりました。
大事な時期ですので
温かく見守ってください」と
ファクスを送付しました。
夫の海老蔵さんは
昨年11月25日早朝に
暴力を受け
瀕死の重症
麻央さんも
気丈に対応し
法令順守して通報したうえ
献身的に看病していたのに
二人とも
大バッシングされました。
★極度のストレスによる
急性ストレス障害と
★マスコミや世間による
バッシングの嵐という
二次被害
短期間の間に
PTSDは深刻な状況にまで
悪化したと推測されます。
トラウマ
下手すると
東宮家のように
お子さまに
世代間連鎖します。
―古事記のスサノヲタイプです。
日本の【象徴】を
あなどってはいけません。
―ものごとには
パターン(型)があるのです。
温かく見守りましょうね
PTSDの愛子さまと雅子さまについての皇太子さまの解説
51歳の誕生日を迎えられ
お住まいの東宮御所で
―陰陽五行説では
東は
春の息吹や新生を意味する
【木気】
人間は魂を鼓舞し続けることが
大事なので
次世代を担う家族がここに
(歴史的には
イジメの対象になりやすい)
お住まいです。
若者の
「内向き志向」を案じ
「若い世代のみなさんには
世界のさまざまなことに関心を向け
広く世界に羽ばたいていただきたいと思います」と
期待を述べられたうえで
―PTSD治療の魔境でも
あります。
(発症したばかりの人は
気にしないでね)
愛子さまについては
「愛子は学校で怖い思いや
つらい体験をしました」と
ご説明。
―恐怖やつらさは
身に余るストレスですから
PTSDによる
不登校であることの強調
「本人の気持ちを大切にしながら
―恐怖やつらさは
なかったことにはできません。
そんなことしたら
いつか廃人になってしまいます。
学校の理解と協力をお願いしつつ
周りの助けも借りながら
元の状況に戻れるよう
環境づくりを引き続き行っていくことが
必要であると考えております」
―治療環境の整備について
長々と語っておられます。
庶民のブログや
最近の週刊誌なら
「治療者は何やってんだ!」って
一言ですむところ
このお気遣いわかりますか?
雅子さまについては
「愛子が元通りの通学に戻るために
母親として可能な限りの努力を ←自力
払ってきているのが現状で
私自身そばで見ていて大変だと思いますし
雅子自身の体調が万全でない中で
毎日本当によく頑張っていると思います」と
ねぎらわれました。
親子の治療は
連動しています。
―まともな治療現場では
親子並行面接が
基本です。
ないから
自力でがんばっておられるのです
『認められたい欲望と過剰な自分語り そして居合わせた他者・過去とともにある私へ』
他者を失い
データベース化する自己
自閉する自分語り….
いま
また別様に
〈わたし〉を語ることとは
他者との共存
過去の救済とは
どう可能か.
気鋭の著者が
戦後教育学,日中関係,
台湾のフィールドワーク,
アニメ,現代思想をも
縦横に論じ,
教育ということの可能性を考える.
だそうです
東京大学出版会ですから
ちょっと
固い言葉で書かれているようですが
―ハーバードの
サンデル先生みたいに
楽しくやればよいのですが
要するに
対話でしか
道は開けないということです。
―コメントするとかしないとか
そういう表面的な問題ではなく
気づきがあるかないか
自己改革があるか否かでしょう。
自己完結した
タコツボなら
不毛ですね。
現代の問題を端的に
指摘されているように
感じました。
福祉のストレスはマックス!公務中飲酒運転のPTSD解離職員まで出現
愛知県豊橋市の
福祉部の
男性主任主事(55)が
停職6カ月の懲戒処分に
なりました。
―軽すぎです。
治療も必要です。
18日
午後4時半ごろ
―もう少しで終業なのに!
さすが依存者
公用車で
コンビニエンスストアに寄り
缶チューハイ
(350ミリリットル入り)を
2本飲み
公用車を運転して
市役所に帰ったそうです
何考えてんだ?!では
ないのです。
なーんにも考えてない
【解離】現象です
昔なら
豪快なヤツ!で
済んでたのかも
しれませんが
今は
平成です。
時代が違います。
医療と福祉の分野は
PTSD否認で
ドロドロですからね。
―仕事は
やってもやっても
めちゃくちゃになるばかり。
同僚は
解離犯罪犯すし
(もっともこの言葉を知ってれば
少しストレスが減ると思いますが)
茨城県警にも女子高校生買春のPTSD解離おまわりさん
38歳だそうです。
「興味があってやってしまった。
他にも2、3回サイトを利用した」と
容疑を認めているようです。
市民を保護する立場の
おまわりさんが
子どもを傷つけ
癒す立場の
医療が
ストレス障害を
精神病にしてしまいます。
PTSDになり
解離すると
職業的正義と
反対のことをしてしまうのでしょうかね
無条件に暴力を赦すのは真の聖人ではない
許すには
全容を知らねばなりません。
真実が明らかになって
初めて
誰が加害者で
誰が被害者か
見えてきます。
―冤罪があるように
これは案外見えにくいものです。
自分だって
加害者扱いされた
―学校や家での不適応で
よい子でないとみなされた
経験を思い出してください。
一番最初に
「こいつが悪い」と
思ったものや人間を
後生思い続けるのは ←心中
生後直後に見た動くものを
親だと勘違いして
追い回す
カモやアヒルと
知的レヴェルが同じです。
―健康な知性を与えられて
生まれてきたのに
残念なことです。
悪しき
信仰の宗教みたいなものです。
―真の宗教は
実践による成長を促します。
真実が明らかになれば
善悪を超えて
許せるようになるのかも
しれません。
赦すとか赦さないとか
自分が決めることではないと
理解できるかもしれません。
そのときは
トラウマが癒えているはずです。
トラウマが
癒えていないのに
赦せるはずがありません。
自然な怒りの範囲で
許せないと
―怒りが怒りを生んで
一体なんで怒ってるのか
ワケがわからなくなる魔境は
避けた方が懸命です。
思うのが普通でしょう。
それを他人が
許しなさいとか
こだわってはいけないとか
怒りすぎだとか
言うのは
相当ヘンな話だと思います。