神戸連続児童殺傷事件は
1997年に起りました。
当時14歳だった男性は
遺族に謝罪の手紙を
書き続けています。
数年前までは
「誰かに書かされている」ような
文面でしたが
―解離人格ですから
自分というものが
わからないのです。
解離犯罪中の一瞬におこる
『自分だ!』の勘違いが
消えると
こういう時期がきます。
年々
表現力の幅がひろがり
「自分の気持ちを表す
言葉を書いている」
印象が強くなっているそうです。
―本当のきもちに気づき
伝わる言葉にするのは
簡単ではないです。
「孤立せず
社会の中で生きているような
感じを受けた。
罪に向かい合おうとしている」
―自分の気持ちに
向かい合うことが
罪に向かい合うことになります。
世間では
自分の裁判官になるように
求め勝ちですね。
断罪は否認や抑圧のもとになり
病理を深めます。
手紙ですが
肉声のように感じ
涙が出たそうです。
被害者のお母さんに
赦しの感情が起り始めているようですね。
長い長い時間が
かかります。
★同じような事件を予防することの
必要性と
★既に起ってしまった悲劇が癒える
可能性を
教えてもらいました。
PTSD解離人格酒鬼薔薇はもういない
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