PTSDが
常識という暴力の病であることは
確かですし
治療過程が
独創性による
自己実現の物語であることは
確かですが
それは
簡単な二元論で
論じられるものではなく
下手すると
★わがまま
★開き直り
★勘違いの
温床になり
PTSDを複雑重症化させ
周囲も
不幸に巻き込まれます。
いかに
そういう間違いが多いか
「ウッズよ、どんどん浮気しろ!」
「死刑囚の臓器を臓器移植へ!」
煽るにも
ほどがあります
浮気が
トラウマ否認の
依存症という
PTSDである視点がないと
本人のプレイにもよくないですし
ファンの癒しにもならず
何より
子どもがどれだけ傷つくか。
―機能不全家族が
いかにPTSDの増殖装置になっているか。
連鎖もしますし。
死刑囚を悪とみなし
臓器を当たり前に切り取るのは
海老蔵を悪とみなし
過剰防衛で殺せというのと
同じ発想です。
アウシュビツの問題にも
通じます。
犯罪者をファッションのように
同一化する
堕落PTSDもいますが
永山などは
必死で反省しようとしたのです。
恐ろしい本だと思います。
PTSD否認の未治療のPTSD煽り本『死なない病気 あとの祭り』のおぞましさ
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