1999年に自殺されたようですが
昨日の
朝日新聞の夕刊で
米朝さんが
回想されてましたので
―その写真は
1996年のもので
弱りきった横顔でした。
思いつくことが
ありました。
枝雀という名前を襲名する前に
鬱で苦しんでいたそうですが
―キューブラー・ロスの最後の段階ですね。
大きな変化を受容する前に
否認から始まって
ウツを経て変容します。
苦しいとは思いますが
せっかくウツになったのだから
続きをやらねば
もったいない時期です。
昔「そう言いなさい」と
習いました
東京の落語会に行って
柳家小三冶に
完璧に打ちのめされ
太刀打ちできないと
打ち明けていたそうです。
―中国の陰陽五行説にショックを受けて
『古事記』を書いたり
国中に陰陽五行説を当てはめながら
必死で勉強した
古代の日本人みたいです。
こういう心因もあるのです。
米朝さんはそのことは
ご存知なかったけれど
寄席が思い通りに行かず
くらーい枝雀さんに
「そこまで思いつめんかてええ」と ←禁句
よく言われたそうですが
枝雀さんは
夜通し
手を大きく振り
歩きながら
ネタを繰って歩いていたり
されたそうです。
―奇行っぽいですが
自己治療としては
ポイントをついています。
自己治癒力は働いていたようです。
創造の病としての
PTSDだったのですね。
落語家になった理由には
深いものがあったとは思いますが
うつ病ではなく
心因があって
躁うつ病みたいに
なっておられたのが
わかりました。
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亡くなられてから今日初めて桂枝雀の落語を聞き直してます!
やっぱり「面白い」けど「凄い!」と言う感じですね!
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>tomoさん
私も大好きです。
隠れファンたくさんいるのでしょうね。