午前8時25分ごろ
茨城県立水戸第三高校から
「体育館にナイフを持った男がいる」と
110番があり
住所不定、無職の男(60)が
現行犯逮捕されました。
男は抵抗し
男と署員が
ナイフで右手の指などを切る
軽傷を負いました。
「ナイフを持って
学校に入ったことは間違いない」と
容疑を認めていますが
動機が判然としません。
―無意識に踊らされたのでしょうね。
これを解離犯罪とこのブログでは
呼んでいます。
PTSDであり
増加しています。
刑事責任能力の有無を
慎重に調べています。
―犯罪は意識と無意識の創造ですからね。
そのバランスで
責任能力の有無が決まります。
これも不起訴?
―死刑判決が普通でしたが
最近は裁判に持ち込めません。
取調べが維持できないのです。
PTSDが蔓延&重症化しています。
月別アーカイブ: 2011年5月
強姦未遂など7つの疑いがかけられたIMF専務理事もPTSDか
NYの高級ホテルで
女性従業員に
性的な暴行を加えたとして逮捕された
ストロスカーン容疑者(62)は
―IMF専務理事
法廷で
「犯行時間には昼食を取っていた」と
アリバイを主張しました。
―「ホテルを出たのは娘に会うため」で
逃亡ではない。
保釈を求めましたが
逃亡などの恐れがあるという理由で
却下されました。
逃亡意識の否認に
早速
メスが入りました。
IMFは
状況を注視しているところですが
国際的に有名な組織の
社会的地位のある人が
高級ホテルという
ホスピタリティあふれる環境で
解離することも
可能性としてはあるでしょうね。
バス横転事故を起こした自殺志願のPTSD解離大学生も不起訴
2月に
広島県内の
山陽自動車道で
高速バスの運転を妨害して横転させ
乗客ら11人にけがをさせたとして
殺人未遂の疑いで
逮捕された
男子大学生について
広島地方検察庁は
精神鑑定の結果
当時、善悪を判断できない
心神喪失の状態だったとして
不起訴にする方針です。
「就職活動で悩んでいて
自殺するために
ハンドルを奪った」などと
供述していましたね。
心因があって
混乱しているので
PTSDだと思いますが
逮捕されたストレスなど
重なると
―普通は反省すべきでしょうが
心的外傷後ストレス障害ですから
やたらストレスに弱い。
取調べの警官が
いじめっ子か
虐待親に見えたかも
トラウマが複雑化&重症化して
収拾がつかなくなるようです。
最近は
裁判に持ち込めないケースが
増えてますね。
PTSD重症化のスピードが
増しています。
予防や治療の視点があれば
防止できることですが
被災地のPTSD予防に
関心が集中してしまっていると
(同じ問題だとこころの中では
叫んでいたかも)
あきらめたかな?
薬害エイズ訴訟の次の大型薬害訴訟もPTSD関連
薬害エイズ訴訟で
最後に残っていた原告の男性が
東京地裁で
国、製薬会社と和解したそうです。
1989年の
最初の提訴から
22年を経て
すべて終結したことに
なります。
当時は
よくわからないし
死病ということで
パニックになりましたね。
―誰でも
罹患する可能性がある病だし。
しかも
自分に非がないのに罹患し
理解されないなんて
―裁判は
逃げ場を失った相手に
こころないことを
言わせる構造ですから
PTSD関係の裁判はつらいです。
あまりの理不尽さは
複雑なPTSDの原因になると
思います。
そのあと
死ななくて済むというものの
大量の薬を飲まねばならない
ストレスの時代を経て
―世間の目も気になるし
人生設計も変更させられます。
今は
事情が大分変わりましたが
こころのケアが
必要なのは変わらないでしょう。
大量の薬を飲む
ストレスフルな人が多い病と言えば
PTSDですね。
新しい大型薬剤裁判が
控えているように感じます。
なかなかタイムリーというか
よくできた構図ですね。
上原美優さんも
たくさん飲んでたようですし
世論がさらに大きく
変化することを期待しています。
PTSD治療の要ハーマンの【服喪追悼】の手本としてのスサノヲ
天皇が
その父母の崩御にあたり
喪に服する期間を
諒闇とも呼ぶそうです。
―なんと
りょうあんで
普通に漢字転換できます
つまり普通の日本語だったわけです。
諒陰・亮陰とも書きます。
儒教の『礼記』なんかで
父の死の3年、母の死の1年が
服喪の期間とあり
日本もこれに準じていたようですが
今上天皇の即位の礼は
昭和天皇崩御の翌年に行われてますね。
―解離の時代
空席になると
危険なご時世だから?
陰は
女性・非日常・過去などの総称
スサノヲの父親も
最初は普通に
妻の死を悲しもうとしたのですが
恐ろしくて逃げ帰り
安全確保したあと
忘れようとしたので
―禊をした
そこから生まれた
スサノヲが
この世に暗闇(陰)を持ち込むような
ことをさせられたのです。
―お日さまのような
アマテラスが
スサノヲのDVにおののき
急性ストレス障害で
ひきこもりニートになって
世の中が真っ暗になった。
結果
―陰極まれば陽が萌す
神々(全神経)が集まり ←パニックの原因
問題解決へと力動的に
動いてゆきます。
―ここで
パニックにならないように
するには
PTSD予防教育が必要ですね。
発作抑制の薬配ってる場合じゃないです。
どれだけ危険か
ちょっと想像力があれば
ハーマンも
心的外傷と回復の3段階
①安全確保
②想起と服喪追悼
③再結合を
あげています。
普通は
服喪追悼ってピンとこないと
思います。
―わかる人は相当作業が進んだ人です。
言葉だけまねしようとしても
内容が伴わないので
挫折します。
改めて
訳者は大事だなぁと思いました。
―ハーマンも
繊細な中井先生の感性に
救われていると思います。
震災義援金を日本赤十字社に送らなかった教育委員会PTSD解離職員
足利市教育委員会で
市民から集めた
東日本大震災の義援金
約120万円を管理していた
主幹級の男性職員(57)が
11日から行方不明となっていました。
家族が弁済し
職員は14日夜に帰宅し
「人様のお金に
手を着けてしまい申し訳ない。
弁済したい」と
話しているそうです。
どう考えても
すぐ発覚するわけで
自分を
(無意識的に)追い込んでいるとしか
考えられません。
―トラウマの再演ですね。
癒されるべきトラウマがあるのです。
子どもじみた
(子どもに失礼?)行動は
ある種の退行でしょう。
家族に保護され
『ありがたい。
すまない』と
癒され
―ありがたいこと
すまないことは
甘えから派生する語で
日本人独特のものだと
精神分析では考えます。
こから深い反省に入るのが
少年事件の対応ですが
未治療なら
57歳でも少年の扱いです。
―法律は成人扱いになりますが。
教育委員会での事件だなんて
―教育はこれでいいんかい?と
言われてるみたいで
(被害妄想?)
どこかでは
放射能も安全だとか言いだすし
なんか哀しいですね。
中2男子の集団暴行死でPTSD解離4少年まもなく逮捕
昨日夜
千葉市の公園で
中学2年生男子(14)が
ベンチの上で倒れているのが見つかり
死亡しました。
顔には殴られた跡が複数あり
警察が現場にいた
16歳の少年と
同じ中学に通う3年生3人から
事情を聴いたところ
暴行に関与したことを
認めていることが
わかりました。
まもなく
少年らは傷害致死の疑いで
逮捕される方針のようです。
PTSD予防の視点から観れば
(それがない)日本は
ある種の
集団暴行組織ですから
PTSDの子どもは
反応してしまいます。
―リンチ(私刑)はよいのかと
勘違いします。
海老蔵裁判で過剰防衛はダメと
学んだはずですが
子どもたちにまで
行き渡っていません。
はやく手を打ちましょう。
PTSD解離男性祖母と同居人刺す
滋賀県の
県営住宅で
祖母や同居の男性を
包丁で刺して
殺害しようとした
無職男性(21)が
緊急逮捕されました。
―男性は死亡
祖母は意識不明の重体
突発的な
PTSD解離事件増えてます。
自殺した上原美優と象徴的に死に自己実現したスサノヲ
父親(79)は
亡くなる前日の
上原さんとの電話を
振り返り
「種子島に帰りたい」
「(天国の)
お母さんの元に行きたい」と
泣く娘をなだめ
「もう大丈夫」と言うのを
信じて電話を切った
数時間後に
訃報を聞いたことを
振り返り
「もっと何かできることが
あったのではないか」と
後悔の念を口にしています。
サバイバーズ・ギルトとも
言えますね。
誰でもそう感じるようです。
そして
その辛さに追い討ちを
かけるようなことは
いけないのですが
若い命の犠牲を教訓にするために
敢えて考えようと思います。
古事記のスサノヲも
母に会いたいと
泣き喚きました。
スサノヲの父親は
妻との死別の悲しみを
抑圧していますから
スサノヲが被曝したのです。
―親の業を担わされます。
上原さんの家庭は
両親ともパチンコ依存症であり
夫婦喧嘩も
凄まじかったそうです。
上原さんも
両親のトラウマに被曝しているので
中学生で既に絶望し
自殺を考えていました。
全然
大丈夫なんかじゃなかったのです。
―生まれてこのかた
大丈夫だったことなんて
一度もないでしょう。
この期に及んで
そこを大丈夫ということが
―否認
死への入り口になってしまいました。
スサノヲの場合は
★大丈夫とも
★嫌だとも言わず
ただただトラウマと
直面しました。
厳しい世界です。
予防すれば
この苦境は避けられます。
なので
日本文化は
手を変え品を変え
PTSD予防
(心のケア)を訴えるのです。
震災ショックでののちゃんも『崖の上のポニョ』みたいになる
解離人格たちは
ものごとを
甘く考えがちです。
老年期は
人生総決算の時ですから
エリクソンなんかは
獲得するのは
叡智か絶望かなんて言ってます
精一杯生きてきたなら
悔いはないでしょうが
否認し続けた人生なら
コンプレックスが
一気に襲ってきて
大変なことになります。
認知症と間違われるくらいの
混乱は覚悟しなければならないでしょう。
最後の審判は
生きてるときに
起こります。
閻魔大王とも
生きてるときに
会います。
そして
ののちゃんにも
『崖の上のポニョ』や
サスペンスドラマのテーマ
―犯人を崖に追い込めて
独白させる。
出てきましたね。
これも
震災ショックでしょう。
―みな哲学的になります。