眠れないとか
あれこれ気になると言うと
「気のせいです」と ←「心気症」とか
断罪する治療者がいるそうです。
―治療者というより
【断罪者】ですね。
いやはや楽な仕事です。
そういうのは
おかしいと思いますが
気のせいという言葉自体は
正しいです。
先天的な障害のためではなく
すべては【気】のせいなのです。
一時的にあるいは時々
★気が違うとか
★気が振れるのです。
―現代心理学では
自我が振り切れると言います。
許容量を超えたものを
計ろうとすると
計器が壊れますね。
許容量が小さくなります。
5つの気の循環が
安定しているのが
健康の定義です。
多少は
気力や気概が大事ですが
弱気なときは
誰かが元気づけ
勇気づけたらよいのです。
自己治癒力で
相当なことができます。
―魔法みたいです。
それが起こるように支えるのが
こころのケアです。
「がんばれー」
「フッコーシマショ」と
連呼することではありません。
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PASS:
> 自己治癒力で
> 相当なことができます。
ということで「エンパワメント」を試みるのは、「氣」とどういう関係にあるのでしょうか。
専門外で心もとないのですが、情況によっては「エンパワメント」で「気合い」が入れられるように観察されます。「エンパワメント」は、日本語で表現すると何でしょうか。
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>あ*さん
私もエンパワメントと言う言葉が、最近気になってました。このあたりの言葉は、共通言語になってないので、難しいですね。しかし、この答えが見つかったら、PTSDがもっと理解されるようになると思いますから、もっと考えようと思いました。宿題にさせてください。
ただ、エンパワメントという言葉を使う多くの人は(支援家に多い)、外から力を与えるような感じで使っているところがまだまだ強いように思います。
私は、①どこから集まってくるのかと驚愕するような力が ②内から沸いてくるようなのを
エンパワメントの言葉に想います。じんわりと温かくなり、勇気が沸いてくるのです。
それを日本語で言うと、何になりますか?
「癒し」が、自分的にはぴったりしますが、
アメーバニュースによれば、嫌いな言葉の上位に入ってるようです。よく理解されないまま、古めかしい言葉になってしまったのでしょう。