同じ日本人だから
感性が一律と
思うのが間違いで
―同じという視点も大事ですが
国民的無意識の下の層が
このたびは問題なのです。
一昔前は日本人共通だったかも
知れないのですが
都市化で忘れたものが
東北には残っているのです。
狭い日本でも
地方色はあるのです。
津波は
「怖い」と
一色のイメージで
思考停止するのが
普通ですが
被災地の沿岸部では
津波は昔からあり
子どもの頃から
話を聴いてきた
なじみのある問題で
―アジアには洪水当たり前の
地域が多いですね。
箱庭の学会で
座長もそう言ってました。
漁師なんかは
「板一枚下は地獄」で
生活しているのだそうです。
アブナイからやめましょうという
二元論ではないのです。
しかし
東京から来た人は一律に
「大変でしたね」
『大変だったけど
(津波自体は)
そんなに大変じゃない』
ご挨拶としての
「大変でしたね」は
悪くないですが
その奥にある大変さを
いつまでたっても
支えてもらえないまま
話がそこでストップしているような
妙な違和感を感じるそうです。
―今は発表者ら一部の人が
そこにアプローチしようと
しています。
津波が怖いとか
そういうことでPTSDになると言うのなら
自分たちは
そんなに弱くないし
―PTSDが
間違って解釈されてしまいます。
そんなこころのケアなら
お断りだ!と
なるようです。
ハッキリは言われませんが
妙な心理団体のために
PTSDやこころのケアは
阪神淡路大震災のときより
イメージダウンしているようです。
津波が来たからPTSDになるのではない
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