毎朝飾るお花は
ひなげし
―コクリコであり
漱石の『虞美人草』
『虞美人草』は
秀才小野が
―ちょっと視野の狭い
小さい人間として
書かれています。
傲慢で虚栄心の強い
美しい女性と
古風で
物静かな恩師の娘の
間で
揺れ動きながら
貧しさから抜け出すために
打算的に走り
結局は
選んだ女性を
悲劇に導き
―このことが
『虞美人草』の主意で
そこに哲学があり
それはセオリーだと
それを説明するために
書いたのだと
手紙に書いてます。
大学の出世コースを
棒に振るような
決断をします。
―打算は
誰のためにもならないのです。
前作アリエッティで
★誤診
★薬漬け
★象徴否定と
こころの専門家の
起こしたウソ八百が
描かれましたが
今年は
そういう人は
退散することになるかな?
説明的な哲学セオリーとしての『コクリコ坂から』と『虞美人草』
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