何を置いても
―置かなくても
自由ですが
案外不自由です。
―芸術家のように
「あーでもない
こーでもない」と
悩んで作ります。
自我の思い通りには
作れませんからね。
―自我の思い通りにしようとするのが
病だと
お釈迦さまもおっしゃいます。
PTSDと言うからには
こころに
傷があり
治ろうとして
疼いています。
―自己治癒力
それを無視した日には
―それに従うべきなのに
セルフが
暴れます。
― 十牛図の牛
「牛なんていない」なんて
おこちゃま的暴言で
無間地獄行きです。
箱庭の前で
―神聖です。
不遜なことをすると
バチが当たります。
―アラーの神くらいには
怖い。
私はまあ
番人ですね。
でもたましいの成長の奇跡の
―自分の全身全霊にかけれられた
なぞなぞのような
公案が解ければ
作れなくなります。
証人になります。
―だから学会で
叩かれる。
でも
叩かれた傷を癒してくれる人も
増えました。
それが歓びで
続けられます。
自分は騙せても箱庭は騙せないPTSDの世界
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