元広島資料館長と
文通していたそうです。
渡米した
館長の
ケロイドをさすり
顔をゆがめ
互いに
戦争を繰り返さないという
決意で努力しようと
誓いあったそうですが
広島に来てほしいと言う
願いには
たった7行の
断りの手紙で
―苦渋の末の結論
それが最後になりました。
写真は雄弁で
エノラ・ゲイの窓から
顔を出す
若い時と違い
最後の手紙から
12年後の
晩年の横顔には
影があります。
いつか
医療問題でも
原発問題でも
エノラ・ゲイの機長が
たくさん出るのでしょうね。
「核兵器の使用を
道徳的に解釈したり
正当化したりしようと
していない点が
私は特にうれしかった」
館長さんは
そう書き遺しています。
これは
できるかな?
エノラ・ゲイ機長も原爆加害者PTSDの人生
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