京都の
嵐電嵐山線で
昨日から
始まりました。
二両しかないのですが
それぞれに
二体出没します。
―目玉おやじとかも
隣で
つり革につかまってたり
あいさつしてきたり
します。
芸大の学生が
扮していますが
歓声のほかに
悲鳴も聞え
お化け屋敷的でも
あります。
子どもは
「妖怪に触って
一緒に写真も撮れて
よかった」
安全なかたちで
異界と触れることは
―現実のなかにある
深層の世界
なまはげのPTSD予防ワクチン行事よりは
優しいです。
大事ですね。
扮装したら
150円引きという
現世利益に釣られた
妖怪くらいは
―大学生ですからね。
かわいいですが
もっと怖い
妖怪が
世の中には
跋扈してますからね。
その存在を
身体で覚える
よい方法です。
得になりそうなところを求めて
あちこち迷惑かけながら
さまよい続ける大人にならないと
思います。
「妖怪」ということで、こちらに書きます。
なかなか人気の(解離性不注意が多い)母と感性が鋭いお子さまの組み合わせです。
https://ameblo.jp/chunta-2011/entry-12351872070.html
「ほんまに塩でも盛ろうかなって思い始めた。
先に結論から言っとくとさ、
たぶんほーちゃん、怖い夢見てたんやと思うねん。
そんでこれはおそらく夜驚症と名付けられるものやと思うねん。
もがいてるほーちゃん(3)。
(カッパに特に意味はない。ただ書きたかっただけ)
私:「なになに?!どうしたん?!!」
声をかけましたら、その瞬間
うわっ!!た、立った!!!
カッパが立った!!
ちょ・・・ちょちょちょ、なに!?
立ち上がって今にもどこかに逃げ出しそうなほーちゃん。
思わず抱き締めたら今度は、
…」
以下は、元記事でどうぞ。
母上が中途半端なので、こうなります。私の母であれば、「ほんまに塩でも盛ろうかなって思い始めた」ら迷わず実行して、乳幼児を相手に自信満々に「霊験あらたかな海の塩を盛ったから、もう大丈夫!」♡終♡わ♡り♡
…ということになったでしょう。
一方、父は、乳幼児だった息子が「(ニンジンさんが)痛い、痛い…」と大騒ぎしたとき、4歳上の姪が「ニンジンのお巡りさんが来る」と言って相手をしているのに、
「ニンゲンのお巡りさんでしょ?」
と質してしまう「知性主義」でした。ニンジンを切っただけで「ニンゲンのお巡りさん」が来たら、そっちのほうが怖いぞ…思想弾圧か?…と思いますよね…orz
「妖怪」セラピーは、「あり」だと思います。見えないものを見て怯えるのは、受け継いだトラウマがありそうですし、お子さまをカッパ姿で描きたくなる母上は、芥川龍之介か水木しげるの影響があるのかも知れませんね。
とても興味深いです。
私も塩を使ったり、ごっこ遊びをすることで、次元を変えて対応するのがよいと思います。
正解なんてなく、ただ遊べばよいのだと思います。
人間のおまわりさんが来る方が怖いと笑いが起きるのもいいですね。
元記事の方は、お母さんの無意識で起きている知性化(頭で考えて気持ちに寄り添おうとしない)の防衛が、お子さんからすれば、恐怖で、そういう環境でストレスを受け続けているので、「疳の虫」みたいな状態がつくられてしまうのではないかと思いました。芥川は『河童』を書いたあと、『歯車』が狂って自殺したわけで、ギャグにしてしまうのは(芥川は真面目に書きました)、実はとても危ないことかもしれないのにと危惧します。
「ギャグにしてしまうのは(芥川は真面目に書きました)、実はとても危ないことかもしれないのにと危惧」する点に同感です。
末田耕一医師について
「カッパの剥製」を作ろうとする動きに加担する人々は、人道上の罪を犯しているので、ギャグにも美談にもならないのは自明です。
河童の剥製の話もありましたね。
発達障害の親御さんの会をまとめているような方が、お子さんに脳波検査を受けさせ、眠らせるための睡眠薬を呑んだ状態のことを「酔っぱらいおじさんみたいにラリってて可愛いな」と書いていたのも思い出しました。
悪気など全くないのはわかるのですが、何とも言えない話です。