前記事のような
現象があります。
ユング派の人たちも
被災地への支援ワーキンググループを結成
講習会も開いてましたが
今年のは
ドタキャンされました
http://www.sandplay.jp/images/2013_kenshukai_wg_corase.pdf
PTSDじゃなくて
―こころのケアは
PTSD予防のこと
発達障害ばっかりやってたから
―象徴の見方がおかしいのが
バレちゃった
問題が見えず
被災地には
PTSDがあまりないと言われ
向精神薬がばら撒かれている現状に
頬かむりしてます。
まともな学者なら
一言あっていいところでしょう。
スクールカウンセラーがいる方が
いじめが自殺に直結しやすいように
―絶望が深まる。
こういう専門家が跋扈する
フクシマでは
PTSD症状も激しくなるでしょう。
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素朴な疑問です。
象徴の捉え方ですが、同じものでもその人独自の経験に基づいた思い入れのあるものとか、日々身近で接していなければ読み取ることが難しいものなど、たくさんあるような気がしました。
素人だからと思うのですが、いつもとても不思議に思うところなんです。
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>まきりんこさん
その通りです。
そこもやはり「3」で、象徴と集合と個人のコンプレックスでしょう。本邦ユング派は、集合(日本文化やPTSDの流行)からの類推や個人に傾聴するスタイルが欠けているのです。キリスト文化のユングだけでみたら、発達障害ばかりに見えるのでしょう。
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>翠雨PTSD心理学研究所さん
先日返信してくれたこの内容がずっと気になっていました。
自分なりに、今まで読んだ本や学びの中から、こういう感じのことかなと思ったことを書いてみます。
集合の意味としては、長いものにまかれろ的日本の文化の在り方と自他をはっきりさせる西洋文化の在り方では、まず主体の在り方が違ってきて(?)、そこを西洋的な考えで考えた時、はっきりさせることが正常とすると、東洋的な感じは発達障害ばかり、ということになってしまうということでしょうか?
そして、傾聴しつつ象徴を捉えていく…
書いていたら難しくなってきました(^^ゞ
先日、伊勢神宮に行った時、意識しながら参拝しましたが、今の自分(人類)の存在は、長い歴史の中で人類が蓄積してきた文化の上にあるものなのですね。
芸術など、いろいろな文化の中に人間らしさの発達があったことを知りました。
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>まきりんこさん
切断(父性)と包含(母性)も西洋・東洋ですが、
発達障害の一番の問題は(俊雄ちゃんの象徴論がおかしいという話)、キリスト教(十牛図の途中までしかない二元論)に日本人のPTSDを押し込めようとするところにあると考えると、とりあえずスッキリするかと思います。
確かにかぐや姫はなびかずはっきりさせるから
自己実現モデルなのに、馬鹿な専門家から「わがまま」と言われてしまうわけですがね。