ドンキは
大人しくて優しい
ロッカーが
―DV記憶が蘇って
解離した。
記憶の中の母親をかばおうとして
過剰防衛になった。
突然
人を何度も何度も殴り
逮捕されたのを見て
ショックを受けます。
母親が恋人を
殴ったために
預けられたのだから
―父親のDVも辛いが
母親のDVはもっと混乱する。
しかもその相手と結婚するつもりだから
わけわからない。
複雑なショックで
凍り付いています。
しかし
親元にいた時と違い
コガモの家の子たちに
「こわかった…」と言えました。
どうしたの?と言ってくれたからです。
ラポールがあるから
―自由に言いたいことが言える。
掴み合いになった関係だから。
見たことを説明して
受けたショックを共感してもらっていました。
あとは子ども哲学会議に入り
―それぞれの暴力観
混乱しますが
―子どもだから当然
魔王の出現で最後には
普通の子ども以上に
深い哲学を得ることに成功しました。
子どもたちの賢さを
侮ってはダメです。
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つい先日死生学の最後のレポートをやっこさ提出したのですが、コルチャック先生の子どもに対する考えで、大人の意に反して未熟な状態で子どもが死ぬ権利、というのがあり驚きました。
周囲がそれを受け止め、子どもに与えられた短い期間内での成長や成熟の機会を奪わないことであり、最後まで人間の尊厳を持って終末を迎える権利ということでした。
そして、子どもたちは未来を生きる存在ではなく、今日、現在を生きる存在で、子どもは人間の萌芽などではなく、すでに人間として尊重すべきとありました。
つい子どもだからと問題から遠ざけようとしたくなりますが、受け止められるように側にいて魔王のように一緒に向きあって、その子自信の考える力や受け止める力、自身の感性を信じる力などを育んで、いずれ自分を頼りに自由に人生を選択し生きていけるようになる、その力を信じてあげないといけないのですね。
そういうことされてなかったので、娘には辛いところを見せないように、しんどいとことか見せないように育ててきてしまいました(とはいっても見てたでしょうが(^^ゞ)。
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>RINKOさん
なんか凄く勉強されてますね。
「尊厳死」が幅広く認められる方向にあるそうで、その延長の話でしょうか。
「魔王」はなんか古くて最先端のような凄い存在ですね。普通の日本人はそこまでやってないと思いますから、一緒についてゆきましょう。