宮崎駿のPTSD神楽(映像)」への4件のフィードバック

  1. あ*

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    さわり玉のほかに何もない世界。
    触り=“feeling” でしょうし、
    刺激として強すぎれば、
    障り=「病気」でしょう。が、
    それを食べ続けて内面を構成するものの、一雫の涙=anima=霊魂を得るまでは、個人の良心が外からは認められないカオナシ状態だった。それが、
    anima=霊魂=無意識の人格を得ると、それまでに内面に取り込んだものが血肉(←赤色)となり、外からも見える個性を構成するようになった…
    というふうに見えました。
    当人の良心が無視されているかぎり、PTSDは認められず「うつ病」扱いされて、PTSD克服の原動力は当人の良心だけなので、個性化には向かわないカオナシ状態の「うつお」ということなのでしょう。
    さわり玉は、おそらく種類があり、さわり玉しか取り入れるものがない過酷な世界ではあるものの、それでもなお、どの障り玉をどういう順序で、どういうスピードで、どう食べるかは、「うつお」本人が見て決めて実践しているので、そこに主体が認められて、内面の自由があります。過酷な世界で毒になるものばかりでも、その人らしく生きるというPTSD克服の物語でしょうか。

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  2. 翠雨PTSD予防&治療心理学研究所

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    >あ*さん
    きれいに解説していただきました。
    ありがとうございます。
    なるほど、タイトルは「うつ神楽」でもいいわけです。その方が注目されますしね。
    発達障害論で間違って問題にされた「主体が立ち上がる」というテーマも取り込み、さすがに宮崎駿の創造力は深いですね。

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