無門関・第41則の
達磨安心(だるまのあんじん)です。
ダルマが壁に向かって
坐禅をしています。
雪の中に立ちつくす
二祖慧可(えか)は
ダルマが対応してくれないので
ついに意を決し、
自分の臂(ひじ)を
切り落として言いました。
「わたしの心はまだ不安であります。
どうか安心させてください」
ダルマが言った。
「心をここに持って来るがよい。
お前のために安らぎを与えてやろう」
慧可は言った。
「心を捜し求めましたが、
どうしても掴むことが出来ません」
ダルマが答えた。
「お前のためにもう安心させてしまったぞ」
…
みえないこころをめぐっての
自傷治療の根幹はここにあります。
治療者が真摯だと
クライエントも真剣です。
真剣と真剣のぶつかりあいです。
そこに伝統が
受け継がれるのです。
―クライエントのこころは癒え
伝統を次世代に伝える人になります。
いい加減な治療者しか
いないのを知っている
クライエントは
リストカットを繰り返し
責任放棄し(キレ)て
治らない!と言い
治療者は
「こころなんてないんだ!」と
詭弁を弄するふてぶてしさ…
確かに切りあってますね
―象徴的に切り合うべきところ
実際に切り合うのを
アクティング・アウトと言います。
治療失敗の証です。
こころはつかめるんですよ。
道元もそう書いてますからね。
昔からずっとそうなんです。
数年前
箱庭の学会のシンポジウムで
ユング派分析家の女性が
【心不可得(こころは捉えられない)】と
お坊さんに教えてもらって
喜んでました。
こんな自分に都合のよい研究者の前で
いくら箱庭置いても無駄です。
哀しいことです