恒例の成田山新勝寺の豆まきに
朝青龍がいなかった。
なぜだ?
柄にもなく気にしたか。
気にするなと言いたい。
何もかもが横綱らしいのに。
バッシングされるのは神格の証。
亀田家ではこのくらいでバッシングされない。
節分の豆のようにいじめていじめてそれでも生き残るサバイバーが次世代を担うのが日本の伝統。難題をこなした割にはその賞味期限が短いのが厳しいところだけど、そこは神様だから。
新勝ではないけど、過去の栄光に浸るのはだめで、この国は新鮮さが命。
大相撲のステージの上には4色の垂れ幕
西に白(金気)・東に緑(木気)・北に黒(水気)・南に赤(火気)
あれあれ4色しかないと思わないでください。
土俵は黄色の土気で、五行です。
レフリーは行司
八卦はよいから残った残ったと合図します。
リングは宇宙を表しています。
二人の人(陰陽)がぶつかって勝負します。
昔は相撲占いとも言ったそうで、そもそも呪術的です。
なんと結果で豊作かどうか占ったという。
塩を撒いて清めたり
神事なんですね。
だから横綱に対する要求は神様としてふさわしいかどうかというレベルになってしまう。
解離は普通耐え難いことが起こったとき仕方なく無意識的にしてしまい定着した悪友みたいなもんだけど、朝青龍はそれをバネに生産的に使ってた。本人は必死だったかもしれないけど。
ガッツポーズなんかは【気合】という日本人が忘れかけた陰陽五行の魔法を表しているみたいだし、そもそも解離なんてもののポジティブな具現化こそ神格の証じゃないのかと思う。
負けるな朝青龍!
負けるな朝青龍
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