罠にかかった
一羽の鶴が
助けてくれた老人に
恩返しをする
お話でしたね。
「絶対に
部屋を覗かないで
下さい」と言って
布に自分の羽根を
織り込んでいたの
ですが
覗かれてしまい
空に帰って
ゆきました。
人間も
野生の鶴のように
生きていく中で
こころが
ワナにかかったり
怪我をしたりして
死にそうになることが
あることの
比喩だと思います。
心的外傷
(トラウマ)なんて
一番の巧妙な
ワナではないですか?
鳥の顔が
人間には
なかなか見分けられないように
普通の顔して
凶悪なことをする
人間もおり
また鳥なみの
無知から
人にトラウマを
負わせることが
普通にあるのが
人の世です。
ワナにかかっても
とりあえず逃げることが
できたら
鶴のように
何らかの
【表現】を
し続けることが
重要です。
その表現は
身を削るような
作業です。
身削ぎ(みそぎ)は
禊ぎで
もはや宗教的
作業なんですよ。
痛みを
美しい織物に
仕上げる。
痛みは痛み
織物は織物
しかし
氷が水蒸気になるような
大変化を
心理学では
【昇華】
と言います。
自我防衛機制の1つですが
日本人の場合は
トラウマは
昇華するしかない。
つまり
表現するしかないのでは
ないかと
いつも
感じています。
覗いてはいけない
という部分は
心理学では
【見るなの禁】
として
研究されてきました。
が
しかし
宗教も哲学も関係なしの
素人分析ですから
見てはいけない
と考えたんですね。
それで
私に
DV被害者に
箱庭療法をするなとか
言い出したわけです。
そういう人は
面接中に
なんと
瞑想
(見てはいけないから
クライエントさんから
背を向けて
目を閉じている)
したりするんですから
いやはや…
パロディーでしょ。
本当は
見てはいけないのではなくて
覚悟して観なさい。
普通の感覚で見てはダメですよ。
【象徴】として
観なさい
ということなのに
…ね。
老人に見るなと言ったのは
あなたの中の
古い感性・常識で
この異常事態を
判断しては
いけませんよ!
という無意識からの
メッセージです。
自分は悪い子だとか
生きる値打ちがないとか
そういうのが
自分のなかの
老人の視点なんです。
『鶴の恩返し』 に学ぶPTSDにおける【身削ぎ表現】と【見るなの禁】の真の意味
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