著者は
製薬会社のプロモーション活動には
思いのほか強い影響力があることに
気づき
驚きました。
最近
欧米では
このことが盛んに議論されていて
「病気作り」という批判の言葉さえ
生まれてきているようです。
著者は言います。
うつ病になるのは
あなたのせいではない。
これはつくられた「病い」だった―。
薬と休養を勧めるだけのうつ病対策では不十分。
PTSDですから
ただでさえ
被暗示性が高い病ですからね。
磁石で心身症治せちゃって
大ブーム起こした
内科医のこと
知らない臨床心理士いませんよ。
それを
専門家がよってたかって
ぎゅうぎゅうと洗脳するのですから
患者さん負けますよ。
でもこのからくり
じわじわと
通用しなくなってきてます。
間違いという声が大きくなれば
また【被暗示性の高さ】が
絶大な効果を顕すことでしょう
「医原病」ということで、こちらに書きます。
アメブロさんでは、PTSD否認に誘導されてしまう広告が打たれています。
拙ブログ記事
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12237766677.html
に書きました。
「まずは、
自分を
まるっと
肯定しよう」
ということでは、
反省が進みませんので、
「私は、これでいいんだ」などと
元気よく「トラウマの再演」をやり、
PTSD現象の嵐のなかで踊らされるカモになり
自滅への道をひた走ります。
何だか、今の日本政府みたいですね。
『PTSDは「病気」であり、治癒する。』
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12072309987.html
に書いたように、
PTSDに対処するには、
「トラウマという『人生最大の課題』と主体的にどう取り組むか」
http://amba.to/1CaNmD4
が問われます。従って、「主体性がない知識取得」は(ユングの言う)個性化に役に立たない点では「無意味」
http://amba.to/1z4PWEo
と言えます。
主体性のある知識取得の始まりは、「人と人との間」にあり、
「そもそもがinter-estで、人間存在の要は間にある」
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11994417174.html#c12686335718
『Intéressant(アンテレッサン)について ― 欧語散策(1)』
http://ameblo.jp/kmomoji1010/entry-11559954999.html
主体的な学びと研究は、それを実践する当人が
Einbildung
Ausbildung
を車の両輪のようにしてのみ進めることができ、
「有機体の形態」としての
Gestalt ≒ Körperbau
には、
「恒常的なもの、静止したもの、完結したものなどはひとつも見出せず、むしろすべてが運動のなかで揺らいでいる」
http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/12d054c8a852da7c740770902fd610dc
人がPTSDを予防&克服する「世界の再生」とは、当人が
観察主体に戻って渾沌の徳に立ち返り、
素直に自分と自分のニッチの秩序形成からやり直すことです。
その際、何が何でも…という機械論的な合理主義で己れの歴史的身体を「それ」扱いするアプローチを選択することは、PTSD発症リスクになったり、既にPTSDであれば、それをこじらせる結果を招いたりします。機械論的な合理主義による「操作」については、他所さまのブログ記事にて
http://ameblo.jp/morizononaika/entry-12237394660.html#cbox
コメント No. 1 ■五蘊盛苦( http://urx2.nu/AUTj )
を投稿しました。
コメント内容:
「おちんちんに 注射してまで、したい」
という発想は、機械論的合理主義です。
しかし、ヒトの心身一如における「心」は、機械論的合理主義には従いません。
歴史的身体を「それ」扱い=物扱いにしないこと
=セルフネグレクトを受容しないことによって
身体に捻じれを生じて
五蘊盛苦に陥らないようにすることが
EDの根本解決になるという発想が東洋医学の発想です。今日は、ちょうど、
http://ameblo.jp/youhakudes/entry-12237403902.html
という記事が出ていました。
どうも、お邪魔しました。
あ* 2017-01-12 15:45:46
===コメント内容おわり===
コメント No. 6 は警告です。勃起したままになったら大変な「医原病」だということです。
『PPIが精子の質に悪影響』
http://ameblo.jp/morizononaika/entry-12237038379.html
こうした警告は常に素直に聴いたほうがいいと思います。
「医原病」に関連する内容がちょうど、
「医学自身が病気になり、病気の原因になるとき ― ワイツゼッカー『生命と主体』(承前)」
http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/6c228f40142a9385d1fe99c30308bbd5
に出ていました。
一方、日本語で言うと「形態」でも Gestalt ではなく
Morpho-+-logie の morpho- は、ギリシャ語の形容詞
morphḗ
から来ており、『種の起源』の問題につながる話です。
それを(哲学者としては二流であるがゆえに)「社会ダーウィニズム」の二番煎じみたいな社会的役割を果たしてきたドーキンス( http://urx2.nu/AUQh )に持って行ったらダメで、
代謝を軸にして進化論を整理して、
Nick Lane(著)、斎藤隆央(訳)『生命、エネルギー、進化』(2016年、みすず書房)のようなアプローチが正統的な自然科学と言えましょう。
「『種の違い』とは、互いに交配できない集団」(宮下直、2014年、工作社、p. 24)
なので、アングロサクソンのプラグマティズムを人類の福祉の上に置いてしまって初めて出てくる「アングロサクソンの妄想性障害」( http://urx2.nu/AUQG )を完全に人類レベルで否定し、PTSD予防&克服を進めるしか人類滅亡に加担しない道はありません。
…というと大袈裟だという人もいますが、日本は、今、福島原発事故の後始末を抱えているのであり、日本人がPTSD否認のままでいると、解離性不注意が蔓延してしまい、原発事故の後始末ができなくなって人類滅亡が現実になります。
このことを理解しないと、黄色いサル( http://urx2.nu/AUQP )扱いして面白がっているうちに、日本社会は死屍累々( http://ameblo.jp/8677a/entry-12237737437.html コメント欄に「PTSD死」という概念が世の中で認識されていない件が書かれています)、原発事故の後始末ができなくなって人類滅亡が実現されるわけです。
チェルノブイリ原発事故では、強制移住によって累積被曝は止めましたが、
個々人が己れの歴史的身体に応じて、被曝低減に努めつつ保養や避難、移住先を選択することができない状況にされたため、
素直に自分と自分のニッチの秩序形成がやり直せず、
結果として個人がPTSDを予防&克服するのを阻害してしまい、
PTSD死を大量に出しました。そのことを表面的に観察して、
「避難の権利」を認めないほうが良いという根拠にしたり、
高汚染地域に帰還を促進したり強制したり…
というデタラメが続けられていることは、由々しき問題です。
被害を隠蔽し、被害者を差別し、被差別者を棄民する流れになっています。
PTSD否認を止めることが焦眉の課題です。
アメブロの広告も、内科の先生の記事も困ったものですね。
どうしたらこんな風に安直になれるのでしょう。
躁的防衛のような気がします。
仰るとおり、アメブロの広告は、「自己否定」に陥ることが「病的」なのだという表面的な捉え方が滲み出ていますね。内科の先生は、
http://ameblo.jp/morizononaika/entry-12237394660.html#cbox
のコメント No. 13
「プライベートは
詮索しないのが
私流」だそうです。しかし、それでは、それだけのリスクを取るベネフィットが本当にあるのかが患者さん本人にとって明確に自覚できないため、カウンセリングが足りない性転換手術みたいな問題を引き起こしそうです。
『当事者の為のオルタナティブ』
http://ameblo.jp/sting-n/entry-12237863758.html
にも、以下のような件(くだり)があります。
「自己否定から自己肯定へ、自分が生きていることを実感すること。
今起きている人生の危機をどうしていこうかと考える時間があり、病気としても捉えない場があることは、心強く、回復への一歩と繋がる。
オルタナティブの最大の特徴は、「精神症状を病気ととらえず、その人の人生の危機(クライシス)と考える」ことにあります。オルタナティブは、医療による『過剰診断』『過剰投薬』を批判し、それぞれの人間を中心に置いた社会モデルに基づいて活動します。」
「自分が生きていることを実感すること」と、
自己否定したり、自己肯定したりすることとは、直接には関係がありません。
「無知の知」を自覚したり、それとは対照的に「私は頭がいい」と自惚れて暴走したりすることは、
「自分が生きていることを実感すること」とは次元が違う話です。なので、以下のコメントを投稿しました。承認されるかは不明です。
コメント内容:
誠に申し訳ないことですが、
自己否定とか自己肯定とかいうレベルの問題でしょうか?
ビリー・ミリガンは多重人格障害ですが、解離してしまうときがあっても映画監督はできますので、ご本人ができること=映画監督として社会に居場所を見つけてご本人の人生を組み立てれば、それはそれで結構でしょう。人道上の罪は犯していませんから。そして、ご本人はセルフネグレクト受容の後遺症としての多重人格障害に翻弄される自己の状態を「肯定」すること=自己肯定はできません。
一方、多重人格性がなく自我肥大を起こしただけで居場所ならオウム真理教の教団のなかに与えられ、衆生をポアすることが不可避だと信じて地下鉄サリン事件を起こした人たちは、自己肯定の果てにさような人道上の罪を犯したのでして、「みんなちがって、みんないい」(© 金子みすゞ)というわけにはいきません。
翠雨先生に業務妨害を続けていらして裁判所でも虚偽証言を続けておいでの女性心理職は、スクールカウンセラーとして社会のなかで居場所を見つけて、「発達障害」ラベリングされたお子さまたちを食い物にして「私はこれでいい」という自己肯定のなかに生きていらっしゃいます。それは他者の人生をスポイルまたは破壊する人道上の罪ですが、「居場所」があるし、自己肯定もできているので、結構なのでしょうか?
どうも、お邪魔しました。
===コメント内容おわり===
補足です。
アリスパパ( http://ameblo.jp/sting-n/ )氏がお書きの
「今起きている人生の危機をどうしていこうかと考える時間があり、病気としても捉えない場があることは、心強く、回復への一歩と繋がる」
というのも間違っていますね。
「今起きている人生の危機をどうしていこうかと考える時間」が与えられるのは、PTSD診断によって「病気」とされるからこそ、「病者の(社会的)役割」が与えられ、認められます。すなわち、
「病気になったことに責任はなく、各依存症になったことを非難されることもないが、回復(癒されるため)の義務と責任はあります」( http://amba.to/21uhS2N )点を外さず治癒への道を歩むことが「病者の(社会的)役割」です。
要するに、回復(癒されるため)の義務と責任はあり、
解離する権利や、解離状態でデタラメをしつつ周囲に受容するように強要する特権もありません。ここは、もし本当にidthatidさまが心理職であれば、是非とも、ご理解いただきたい点です。
宗教的な意味での「人間苦」という意味ならば、哲学的な真実だと思いますが、そう受け取る人は稀有であるという事実が、大問題だと思います。
かこさんのところに集まる人たちと同じで、みんな薬に代わる「希望」を渇望しているんですよ。
そこに幻想を与えるなら、現状は何も変わらないですね。
idthatidには難しすぎる話でしょうが、心理職なら理解できねばなりませんね。
事実がどうであるかはどうでもよくて、とにかくお金を落としてくれればよい人達なのでしょうね。
内科の先生や性転換手術の執刀医などは、下手にトラウマに気づかれると、商売上がったりぃ~なので、説明するのは「頭が悪い」人の行動とお考えなんでしょう。
副作用や後遺症も、恐れるものではなく、長~いおつきあいができるよい知らせとして歓迎されるべきことで。
オルタナティブは、トラウマ理論抜きでは難しいなぁと悟られたときに、方向修正を迫られるのだと思います。
それで本当の意味での「オルタナティブ」に近づきますね。
今は人魚姫みたいに「足」か「声」かの選択肢しかないので。
アドラー心理学的な『嫌われる勇気』という本が流行していて、そこでトラウマを否定されているみたいです。
そういう考えにかぶれている人が多いのではないかと推測します。
大半の人はトラウマのせいにしたりしないのですが、そのあたりを捻じ曲げて、過去に耽溺するよりは未来を考える方が大事だというようなことが書かれているようです。
駅弁祭りさんは、自分は「成功例」じゃないと書かれました。
うそつきスクールカウンセラーidthatidに、これまで何をされてきたのか知って辟易したのだと思います。
あの自己肯定感は病的であり、心理職としての居場所を与えてはならない人物です。
連投、失礼します。
「躁的防衛に陥ると、PTSD発症リスクを負う」ということでもありますね。
そうですね。