石巻DV共犯少年の裁判員裁判争点はマインドコントロール

死刑判決を受けた
石巻市の元解体工少年(19)
(控訴中)の
殺人ほう助罪などに問われた
無職少年(18)の
裁判員裁判が
始まりました。
犯行に使用した牛刀を
ホームセンターで万引きしたほか
現場の寝室の出入り口を
ふさぐなど
犯行の手助をしたことについて
少年は
「間違いありません」と
起訴事実を認めました。
    …
DV家庭では
母親や兄弟が
一番弱い存在への
加害者に変貌することは
よくありますし
学校や職場のいじめでも
恐怖感から
いじめに加担することがあるのは
よく知られています。
 ―傍観者もそうですよね。
この少年も
ある種のマインドコントロールに
かかっていたと
思われます。
生育歴を調べれば
マインドコントロールにかかりやすい
素地も見つかるでしょう。
オウム事件を
思い出しました。
 

石巻DV共犯少年の裁判員裁判争点はマインドコントロール」への10件のフィードバック

  1. あ*=franoma

    [防災]や[防疫]は、[PTSD予防]の一環として、実際的な《安全確保》をまず考えねば…と思っていたら、
    石巻市は今も問題がある模様で、リブログ記事を書きました。

    ”石巻の市役所や防災センター、災害時には使えない?”
    | あ~どうしたものか
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12663683928.html
    iPhoneから送信

    翠雨先生が2010年(年末)当時、
    「恐怖心から」と書かれたのは
    “Fawn反応” によって…というほうが人類社会レベルで通用すると思い、コメントしておくことにしました。

    「恐怖心」という表現は、正常な危惧を含んでしまいますが、正常な危惧をする我々反核平和主義者を[躁的否認]状態の連中が社会的に抹殺して済ませようとしてきたのは、核問題PTSD否認=環境レイシズム=社会病理なので、[異常心理]です。正常な anxiety がある人が「こういうリスクがあるので、かくかくしかじかの備えをしませんか?」と普通に話し合いをしようにも、殴ったり怒鳴ったりして制圧するとか、書類や郵便物の抜き取りなどを実行します。集団で証拠を残さないように行い、バレても[被害妄想]だということにして「死人に口なし」を狙い続けます。カルト組織メンバーには困りますね。公認心理師カルトも同じです。

    https://bit.ly/CoalitionOfCults

    この辺を整理すると、
    ①集合的無意識に守られること
    ②集合的無意識の無思想に振り回されること
    2つを区別することが可能になっていくと予想しております。

    返信
    1. 翠雨

      災害時に市役所や防災センターが機能しないとは困ったことですね。
      正業だけは率先してやらないアパシー原則を守っているのでしょうか。
      ワクチン打ちましょうとか要らない仕事は熱心で!
      昔学生に流行したそうです。学生運動の反動でしょうか。

      ことこまかく分けて考えることも必要でした。
      「反応」という意味が大きいときは、意識的には怖いと感じてなかったりしますね。
      それは「恐怖心から」とは言えない状態です。確かに( ..)φメモメモ

      集合的無意識(仏教も似てるけど)のビジョンをもつユング心理学で言うとグレートマザーでしょうか。
      育むことと呑み込むことはコインの裏表で、バランスが大事ですね。

      返信
      1. ドラゴン

        「反応」という意味が大きい時は、意識的には怖いと感じていなかったりします。それは「恐怖心から」とは言えない状態です。
        ***************************
        とありますが、Fawn反応も、他のFFF反応もその根底には恐怖があるから現状の環境に「不適応反応」としてFFFF反応が出て来るものだと思っていました。
        「トラウマ反応=恐怖が根底にある不適応反応」と習っているのですが、ASの捉え方が違うのでしょうか?

        返信
        1. 翠雨

          構造のとらえ方は違わないと思います。

          説明する時に、恐怖心からと言うと実感がないタイプの人に伝わりにくいから、そこをていねいにということです。
          あとは、綱渡りを始めてしまった人に後ろから「アブナイ!!」と言わない感じかな。

          お二人からコメントをいただいて、なるほど…( ..)φメモメモと思いました。
          いつもありがとうございます。

          返信
  2. ドラゴン

    お邪魔します。
    結局、バベルの塔は解散したのですが、その理由の1つにボスから「トップダウンの心理療法を余り否定しない様に…」と釘をさされたからです。ボスは「私は研究する際には認知行動療法の立場を取る」という主張でこれまで関わって来たのですが、先の一言を言われた事で、ここでは自分の体験した事からの主張を継続して考えて行くことは出来ないと思いました。そして、私のテーマに興味を持って集合して下さった方々はおそらく、全く何も考えずに目新しい理論を取り入れてるから飛びついただけ…..というのが過去数ヶ月の間の議論にならない議論の場でよく理解できた感じでした。(あっ、でも、自分1人ではお勉強は継続していきますので、あ*さまと翠雨先生にはお世話になります。ちょぴっと図々しいかな……)

    多分、ボスは①集合的無意識に守られていたいという想いから私に助言したのだと思います。そして、チームメートは②集合的無意識の無思想に振り回されるだけで何も議論は出来なかった/これからも出来ないと思いました。

    ということで普通のお勉強に戻ります。でも、日本語で集中的に表現する事に集中できた約半年間で、日本語の文字列が波打つ事無く読む事は出来る様になった事はありがたや〜集合的無意識の恩恵と捉えています。

    返信
    1. 翠雨

      解散したのですね。
      お疲れさまでした。
      学ばれたことを翻訳しておすそ分けしていただいて感謝しています。

      この界隈は、ノリがよくて、ただ一緒に踊っていたいだけの人も少なくないみたいです。
      クスリをつかわないクラブが必要なのでしょう。

      そして、居心地のいい場所からは、創造的なものはうまれないかもですね。
      とどまる人と去る人がいるのも必然でしょう。

      返信
        1. 翠雨

          難解です(゜_゜>)
          哲学的な童謡ですね。
          イメージをイメージのまま学び伝承する教育は禅のようです。

          音楽って素晴らしい♪
          そしてこんなことを教えてくれる場所がネット上にはあるのですね( ..)φメモメモ

          返信
          1. あ*=franoma

            これは結構、古い歌ではないか?と思います。子ども時代に私も好きだったし、自分が親になってからも子どもに歌いました。

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