虐待親やDV父という敵を愛さなくてはならないのか?

「汝の敵を愛せ」
理不尽ですが
 ―理不尽なテーマを抱えて
 初めて
 宗教や哲学が必要になります。
 
 それまでは
 ナンセンスです。
 「私は無宗教です」と
 威張って
 勘違いしている
 未治療のPTSD親も
 いましたね。
聖書に書いてあります。
虐待親やDV親は
一番の敵と
感じられ
みんな葛藤しますね。
「許さない」という人と
「許す」と言いながら
調子を崩す人が多いように
思います。
 ―そして
 それを周期的に
 ぐるぐる繰り返す。
「どうでもいい」と
斜に構えるタイプもありますが
何かのときに
抑圧されたコンプレックスに
襲われ
驚愕しては
調子を崩しますから
どうも聖書にあるような
抜け方しか
ないようですが
実は
これ誤訳なんですね。
「汝の敵を愛するように
なります」でした。
と言っても
マントラのように唱えても
ダメです。
まっとうな治療過程の果てに
そうなりますよという
意味です。
やはり正攻法しかないし
そこには
【元型】があるのです。
目には見えないけど
確かにあります。
$PTSD研究家翠雨の日記

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