孤高の
宗教哲学者 ☚相即不離の関係
ブーバーは
本のカバーのように
人と人が向き合うこと
―比喩的でよいのですが
そこにある関係性(愛)を
大事にします。
―心理療法はこれだけです。
しかしこの威力が
PTSDを治すのです。
ユング世代の人です。
心的世界は
その人がとる態度によって
①我―汝
―相手を自分と同じように
大事にする関係
②我―それ
―相手を利用できる対象と
みなす関係
に分かれます。
―どちらにするか
その人の態度が決めている。
無意識的基本態度に注目したのも
ユングに似ている。
そして
現代文明の危機は
②の途方もない支配の結果だから
―製薬会社や駅前クリニックの態度
PTSDに苦しむ人を
数かお金としか見ていない。
①の〈われ〉と〈なんじ〉を
取り戻すことで
全人格的な
呼びかけと出会いを通じて
人間の全き回復が可能となると
言うのです。
―認知行動療法のような
小手先では
こういう大転換は起こらないですね。
そもそも②を隠蔽してるわけだし
「我とそれ—相手を利用できる対象とみなす関係」は、
相手の人格を無視した姿勢(← idthatidさまはじめ心理職の多数派、精神科医の多数派が「治療者エゴ中心」 http://qq2q.biz/AcXU で維持していらした姿勢)ですね。
相手の人格を無視した姿勢であることは、医療、福祉、教育分野で仕事をするには欠格事項と言えます。そのことと、インフォームドコンセントの問題を整理できていない医師もいるようです。
先ほど
http://ameblo.jp/cm118548151/entry-12226750555.html#c12898410476
コメント No. 1「もう一歩、PTSDの視座を入れて整理しましょう。」
を投稿できました。
コメント内容:
ご紹介の産婦人科医さんの記事にある
「水口病院の
中絶に対する判断は
母体保護法に
準じているとは
とてもじゃないけど
思えない」
ここがポイントですね。
母体保護法に準じていないのに、
患者さんと家族のエゴで中絶したいと言ったら
「中絶手術も手術ですから母体へのリスクはゼロではありませんよ」
というインフォームドコンセントなしに(←患者さんにとってはPTSD発症リスクを負わせてしまい)、
「安請け合い」をした(←医師ご本人のPTSD症状)結果、
PTSD事件になってしまいました。
どうも、お邪魔しました。
あ* 2016-12-08 14:37:04
===コメント内容おわり===
(1)母体保護法に準じていないのに、
患者さんと家族のエゴで中絶したいというのは、
胎児が「それ」扱いになっています。
(2)「中絶手術も手術ですから母体へのリスクはゼロではありませんよ」
というインフォームドコンセントがあったとしても、
母体が「それ」扱いになっています。
母体の「それ」扱いを受け入れて=セルフネグレクト強要を受容して、
中絶手術を受けた女性は落命なさいました。
…と整理できるので、医師が問われる責任は、
「母体保護法に準じていない」ことを指摘せず、
胎児だけでなく母体も「それ」扱い状態であり、
「中絶手術も手術ですから母体へのリスクはゼロではありませんよ。命がけでも、中絶しますか?」
と、はっきり訊かなかったことだとされるでしょう。
ブログ主さまは、
「医師の説明不足は日本の医療では当たり前になってしまっている哀しい現実が不幸な形で表れてしまったのも確かですが、日本人の患者や家族は同意書や説明書の内容を観ずに、医者に任せておけば大丈夫と思う人が多い事も輪をかけている」
とコメレスをくださいましたが、
「医者に任せておけば大丈夫」と思うのが間違いです。
歴史的心身のオウナー( http://qq2q.biz/Ad1y )は、
施術を受ける患者さん本人だけであり、
医師でも配偶者でも家族でもありません。
施術を受ける患者さん本人が「人任せ」では、
腰痛( http://qq2q.biz/Ad2f )でも落命するリスクが高まるでしょう。
このことは、「ゼロリスクは追及できない」ということとは別の問題です。
「人任せ」にせず、リスクを低減するように努めるのが
まだ起きていない不幸を防ぐ可能性を高めるPTSD予防です。
こんな手術を「高度な医療技術」と言っているところが、今の医療のおかしなところなんですね。
子宮体がんの検査リスクも知られるべきでしょう。
PTSD予防教育のなかで身体を大事にすることを教えねばなりませんね。
「PTSD予防教育のなかで身体を大事にすることを教える」
=「身体性を取り戻そう」( http://ur0.biz/ApTQ )
ということと同じでしたね。
何しろ、ヒトは皆、
“mementō …”( http://ur0.biz/ApUp )が大事です。
要するに、解離性健忘に逃げてはサバイバーになれないということです。
私の元配偶者も解離性健忘に逃げてしまい、もう助からないでしょう。仙台エリート研修医( http://ur0.biz/ApXc )さんと同じです。解離性健忘に逃げるしかない状況まで追い詰めたのは西洋白人女性心理職と精神科医です。私は、何とかしようとして元配偶者の欧州本国の在東京領事さまにコンタクトを取って助けようとしたのですが、事務員しか出てこず「統合失調症でしょ(笑)」で片付けられました。「統合失調症でしょ(笑)」で片付けるように仕組んであったのでしょうか? そこは不明ですが、西洋白人たちの罠に嵌められて社会的に抹殺されたことは間違いないことです。
山下太郎先生の記事
http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=1452
に出てくる “Carpe diem”( http://ur0.biz/ApXy )を私は元配偶者と愚息と三人で共有していたこともあるので、我々家族三人のディスコミュニケーションによって親父が破綻したのではないことは断言できます。
問題に巻き込まれても、サバイバーになれるよう教育しておく必要があります。
いのちの教育ですね。
昨日の話題先生の肉も大事な表現だと思ったので、提案してみました。
アメブロには、
「いのちの教育」と称して
http://urx.red/Aypc
という記事がありますが、
このブロガー氏の指導下では、
PTSDの合併症としてのセックス依存症に陥れられて
セルフネグレクト強要を受容してしまい、
感染症からも
支配欲しかない加害者型PTSDからも
己れの心身の安全が守れない危険な
セックスが蔓延するばかりです。
ついでに、このブロガー女性は、
いわゆる子宮がんワクチンと子宮がん検診の
広告塔でもあります。
しかし、書いてあること全部が間違っているわけでもないので、
PTSDの視座を入れて
大学人として仕切り直しをなさると良いでしょう。
そうしたら、本当に
「いのちの教育」
ができますね。
確かに、助産師として教えるべきことが欠けていますね。
そして、そういう広告塔であるならば、その点が致命的になります。
心療内科医が、「自分の気持ちを大事にするべきだよ。しんどい時には、薬を呑む自由が君にはあるんだよ」と出張授業をしているようなものですね。
言っていることは一部正しく、とても大事なことです。