PTSDは理解で治るのではない

古典的精神分析は
患者さんに
あーだ、こーだ
自由に喋らせて
治療者が分析しつつ
患者さんが
無意識の脱線に
 ―抑圧とか知性化とか
気づくよう
話しかけるわけですが
ユングになると
違います。
とにかく
表現させて
表現させて
本物の表現になったら
 ―自分は自分とか
 そのままとか
 開き直ってたら
 ダメ
治癒し
『ああ、そうだったのか…』
病理は
あとからすべて
明らかになるのです。
だから治療家になれる
人がでてくるわけです。
ここが凄く
誤解されてるところです。
「心理テストしてよ」
「解釈してよ」
「話聞くだけ?」
「バウムテストの本なら読んだし」
 ―これはもう致命傷
たましいに対する
謙虚さのない
患者さんは
ダメですね。
 ―罰せられている感じがします。
精神科の常識のせいで
わりとそういう人
増えてますね。
自分を保ちやすいし
 ―自己愛が強いと
 妙に
 上から目線が強くなる。
 投影で
 人が上から目線と
 感じやすいしね。
染まりやすいですからね。

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