PTSDごときで
薬を飲んでいるような人は
―20年前は
少なかったと思いますよ。
家庭が地獄です。
ある女性の
親は
癇癪持ちの
ヒステリー
魔女体質で
―本人がドラゴン描く意味が
よくわかった
妙な勘だけは
働くので
―直観とか
高尚なものでは
決してなく
自分も振り回されている。
好転し始めた
―生まれ直しの作業してますから。
娘にイラつき ☚ストレス障害
―自分にとって
不都合なことが起こっているのは
敏感にキャッチ
不安のままに
暴れている。
吐き気に苦しむ
枕元で
―ここは
薬の副作用より
毒親ストレス反応ですね。
用事を言いつけます。
まるで
童話の継母みたいでしょ?
大昔から
PTSD予防が必要な子どもは
たくさんいて
―シンデレラとか
まっち売りの少女とか
本なんか買えないし
学校も行けないし
実母と書いたら
焚書扱いだから
分かられないように
―あんまり正直に書くと
論文落とされるんです
悟られないように
口承文学が発達したのでしょうね。
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私、幼いこども達に、本や紙芝居を読み聞かせをしていたのですが、
お話を読んでいると、多くのこども達が、そのお話の世界に入り込んでいるのが、よく分かりました。
だから、物語は、
「むかしむかし」「ずうっとむかし」「あるところに」「ある国に」「ある森に」
などで始まり、
「~したということです」「~しましとさ」
「むかしむかしのお話でした」
「おしまい」
などで終わるのですね。
こども達に、
「これは、今の話じゃあないよ。」
「あなたのいるところの話じゃあないよ。」
と、伝えて始まり、
「怖い話だったけど」
「悲しい話だったけど」
「楽しい話だったけど」
「夢のような話だったけど」
、
「これは、お話なんですよ」
と、伝えて終わるんですね。
昔から伝わるものには、無駄なものがないのですね。
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>M-SANさん
PTSD問題に関わるようになって、物語は深いなぁと思うようになりました。
そして、「あるところ」とか「昔の」、「だったとさ」と、あくまでお話であること、たとえであることを凄く強調するのが、強力なまもりになってたのですね。隠しながら凄く強調してるというか。集合的無意識の創作は統計的でもある哲学であり、宗教だと思います。