小学校に行く年齢になり
実は死亡していることが
発覚しました。
夫の子どもではないので
夫と話し合いの上で
中絶する約束になっていましたが
出産し
退院した日に殺害し
出生届と
児童手当の申請を出していました。
そのお金で
豪遊していたことも含め
解離しているとしか
考えられないですね。
―脳が壊れていたら
このようにはできないと思います。
鹿児島の離島で生まれ
すぐ
大阪の母子寮で生活しています。
広義のDVなど
母親が抱えた事情があり
同じような境遇になったとき
―負の連鎖
無理に越えようとした結果
―トラウマの再来
出産・殺害となったのでしょう。
―陰陽混乱
昇華を焦る気持ちが
病巣です。
男の子が二人いるのですが
新聞でこれだけ
書かれてしまうと
十字架を背負わされていますね。
―負の連鎖
大阪には
こころのケア
(PTSD予防)はあるのかな?
「出生外傷」の内容も今は「頭お留守」な医療従事者や親たちの所為で変わってきていると思います。それに関連して、他所さまのブログ記事
『欧州で移民の子供1万人が行方不明〜人間とは何と罪深い生き物であろうか!』
http://ameblo.jp/64152966/entry-12125221887.html
にコメントしたのですが、できませんでした。それで、「昇華を焦る気持ちが病巣」と書かれた先生の記事にコメントすることにしました。
できなかったコメント内容:
一点だけ違うと思う点は、
「金儲けが目的なので麻酔のコスト等かけない」のではなく、
麻酔薬が臓器に残ると嫌だから、
臓器移植先のお金持ちさまのために、
子どもの苦痛など一切、考慮しないだけでしょう。
そこまで、お子さまをネグレクトする気がない「頭お留守」な日本人女性たちも(自分の都合で=「不安だから、私が。」©キンコメ高橋さん)「無痛分娩」を選択して、点滴した薬剤が臍の緒を通して胎児へと行ってしまうことなど一顧だにしない(=胎児をネグレクトしている)場合が結構、ありますので、「そんな風だと出生時の外傷が病原化しますよ」と警告(インフォームド・コンセント)が必要です。なぜなら、親の側から見た出産は、子の側からすれば生れ出るという自発的な行為なのであり、お子さまが「生まれで出るぞ、外に出るぞ」と頑張って旋回をやっていたら、いきなり臍の緒を通して変な薬物が投与されて思うように動けなくなってしまうという理不尽な目に遭う訳で…恐るべき虐待なのです。母親は痛くても死にませんので、薬物を用いた無痛分娩は、やめましょう…と呼びかけましょう。
薬物を用いた無痛分娩の延長上に、ハッピードラッグ路線
http://bit.ly/1PDTSrQ
もあるのです。つまり無痛分娩で母親が受けた点滴が、お子さまにとって「ゲイトウェイ・ドラッグ」になった「アヘン戦争」パロディ
http://bit.ly/20cZ6fV
をやらかしてしまうわけです。無痛分娩をやらなかった場合も、日本社会全体が「ハッピードラッグ路線」で東大精神科もそれでオキシトシン一押しですから、目も当てられません。
こうした世界情勢に踊らされず、互いに声を掛け合って、反省し、まだ起きていない不幸を止めようとするのがPTSD予防であり、すでに不幸な目に遭ってしまった人たちにとってもPTSD克服への道です。
===他所さまのブログ記事にコメントできなかった内容おわり===
同じように殺伐とした内容なのに、
http://ameblo.jp/dembo531/entry-12122897013.html#c12819186624
コメント1
お言葉ですが…
「西洋物質文明の模倣に明け暮れて」は、いませんね。
そもそも「文明開化」などと称して踊らなければならなかったのは、野蛮人扱いだと、酷い目に遭うからでした。
しかし、わかったことは、いくら精神修養を積んでも、
「彼ら」は「オーバーキル」路線をやめず、
「彼ら」にとって日本人女性とまぐわうのは「獣姦」で、生まれた子どもは「実験動物」か「臓器」として活用するという
「一億総活用」=オーバーキル路線が続けられています。
これを止める必要があるのです。
あ* 2016-02-05 00:27:40
というコメントは、投稿できました。また、私は、母子分離を急ぐようにと攻撃を受けてきましたが、息子が自発的に離れていくのを待つ姿勢(=「伝統育児」では当然の常識的な姿勢)を崩したことは一度もありません。母子分離を急ぐようにと攻撃する方が「昇華を焦る気持ちが病巣」(© 翠雨先生)
http://bit.ly/1PVNqZg
になっている未治療PTSD患者さんたちなのです。私に八つ当たりするのは、お門違いというものですが、彼らは「専門家」が形成した「共同幻想」を共有して「治療共同体」を形成した気でいるため、全くの「善意」で手がつけられません。(不安の背景にトラウマ満載だった)元夫のトラウマ複合体を育てて、加害者としてのPTSDにスイッチさせ、「お前ら殺してやる」と殺害予告をするように悪化させました。ハーマンが基礎にない行動療法の「副作用」として(薬物摂取がなくても)実子を殺害しようとするようになる場合もありますが、誰も責任を取りません。以前、
http://ameblo.jp/raingreen/entry-12103332194.html#c12799506711
にコメントNo.6しました。この件については、拙ブログにも記事
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12116950308.html
を書きました。
彼ら西洋白人は、PTSD治癒の実績がありませんので、西洋白人の元夫は、もう治りません。そのように、オヤジを何とかしてやりたかった息子も万策尽きたということを理解し、オヤジ&仲間たちが息子の「安全確保」など一顧だにしない状態が今なお、続いている以上、彼らのPTSDで負の連鎖を避けるには「三十六計逃げるに如かず」で今日に至ります。正当防衛でオヤジに加害するのもダメですから。
日本は「母子分離が遅い」のがダメなのだという不当な攻撃は、西洋白人世界では定着しており、PL教は、その批判を取り入れた宗教だと聞いたことがあります。それに関しては、以下のコメントを投稿したら、できました。
http://ameblo.jp/tadakyon/entry-12125183506.html#c12819204922
1. PL教ができるのは…母子分離でしょう。
聞いた話では、PL教の「自由」とは、母子密着の弊害から解放されることを目指したもののようです。
残念ながら、トラウマ源は母親とは限らないので、PTSD一般の予防や克服には、役に立ちそうもありません。
あ* 2016-02-05 02:35:18
臓器売買の実際は怖ろしいですね。
宗教家が奴隷商人も兼業するようになっただけなのでしょうか。
無反省が精神病的で、救われ難いレベルですね。
しかし、「精神医療は牧畜である」というのが比喩でも何でもなかったのがわかります。
昔言っていた意味での「出生外傷」でもかなりのPTSD発症リスクになるので、心理相談では必ず生育歴を聴いたものですが、今は不自然かつ乱暴なのが当たり前なので不問にされているのでしょうか。
おむつなんかも先進国流に(?)「外す」のが常識になりました。かつては文化人類学者が「精神分析」で言うところのノイローゼとの関係を調査したりしましたが、今はそういう面白い研究も消えましたね。
あまりにおかしいということで、『オニババ化する女たち』あたりから、出産や育児を見直す若い人たちが増えているのはせめてもの救いです。
ヒステリー(子宮の病)は比喩でしょうが、広い意味では象徴的な言葉だったのかもしれないですね。
PL教団は当時の心理学をよく読んでいたのかもしれないなぁと思いました。
すみません、一つ前のコメントは、翠雨先生のお返事に対する返信です。PL教団は当時の心理学をよく研究なさっていることは間違いないことです。なので、腐す必要はありません。
大丈夫です。
また私の言葉が足りませんでした。
私は教えて頂いた内容から「PLは当時の心理学をよく研究されていた」と知ったのです。
さらには、日本の精神分析の研究者は日本人と西洋人ではコンプレックスの型が違うと言っていたわけですが、その内容がまさに「母子関係」に関する宗教的とも言える難題だったので、パーフェクト・リバティに込められた意味の深さを知って驚いたのです。腐しておられるとは全く思いませんでした。
「オムツ外し」とか「トイレット・トレーニング」とかで「育児ノイローゼ」になる人が少なくないそうですし、そういうことを無理強いされた人たちが「オムツ女子」( http://ameblo.jp/raingreen/entry-11366862101.html )という形で負の連鎖をしている( http://bit.ly/1nQYzVg )のでしょうね。PTSD負の連鎖は社会現象です。
伝統的な…というより普通の育児では、オムツは、赤ん坊本人が「要らない」という意思表示をしたら(発語や歩行、ハイハイなどは無関係に)本人が要らないというのだから、やめてしまえば良いのです。やめたら、すっぽんぽんですが、オマルや手桶に排便や排尿をするように教えてあげれば、自分で這って行って排便や排尿をしますよ。初めからオムツなんかしない犬や猫のお世話でも同じです。ご老人ご本人が「おもらしすると嫌だからオムツをしたい」というのを無碍に断るのも間違いです。オムツをしても良いのです、オムツが濡れないうちにトイレに行くほうが本人も良い、だけど、間に合わない場合が怖いというなら何が何でもオムツを買ってあげないというのも間違いですよね。トイレが遠いのも不安というならポータブル・トイレを居室に置いてあげるなども、やって構わないと思います。ともかく、ご本人が「人手を借りないでも自分で出来ることはしたいから環境を整えてくれ」という願いを持っているのに無碍にしたらPTSD発症リスクになります。わざと、トイレが遠くにあるような環境に放置して、おもらしさせて恥をかかせ、「ほらね、だからリハビリを頑張らないとダメなんですよ、わかりましたか?」などと言う介護者はPTSDをご存じないので困ります。
「オムツ」つながりですね。
興味深いです。
トイレでできるかどうかではなく、その過程が大事ですね。
自律の感覚を学び始める大事な時期に、意思表示にどのくらい付き合ってもらえたかは、後の性格に大きく影響しそうだなぁと思いながら読みました。
わざと恥をかかせて「ほらね」とワナにはめる操作はやめていただきたいものですね。
専門家が得意な分野なので、やられた人が真似するのでしょう。
三砂ちづる『オニババ化する女たち』は私も出たとき熟読しました。私個人は、大正末期生まれの母や伯母よりも明治生まれの父方の祖母からの影響が強いので、実感として良く理解出来る内容だったのです。今、思えば、「オニババ化」=アグレッサー( http://bit.ly/1hz1Jsv )化ですね。母性保護と言う前に、母性など、かなぐり捨てたオニババの跋扈する殺伐とした世界になりました。
「オニババ化」も良く出来た言葉でしたね。
あとになればわかります。
オニババにならないようにせねば‥。